ニューヨーク 最高の訳あり物件


予告編に遭遇するたび「『ハンナ・アーレント』のマルガレーテ・フォン・トロッタによる…」にそういやそうだったと思っていたのが、見てみたらやはり(邦題から連想させる)ダイアン・キートンが出てくるような作品では全然なかった。今回は「母」役のカーチャ・リーマンが「娘」役だった監督の前作「生きうつしのプリマ」に通じるところもある。

ドイツから来てニューヨークに暮らしドイツに戻った「元元妻」のジェイド(イングリッド・ボルゾ・ベルダル)と、ノルウェーから出てきてニューヨークで成功した「元妻」のマリア(カーチャ・リーマン)。二人の娘アントニアは「ベルリンが私の家」と言い切り「父親にこだわるのはアメリカ人だけ」「金と成功が全ての街で子どもを育てたくない」と口にする。それでもニューヨークの古い家の魔法が存在していたように、私には見えた。

「セクシー」については独自の見解を持ち職場でボスとして主張するジェイドが、その他の色々な概念においては決め付けや押し付けをしてしまう。マリアの「仕事の定義は?」には「稼ぐこと」と答え子どもの世話など仕事と見做さず、「愛は?」には「永遠に満ちていること」と返す。マリアは前者については孫の世話を一日放棄するという実力行使に出、後者については「あなたの愛は盲目なんじゃ?」と何度も問う。どんな関係でもいい、でも目を見開いた上で決めているのかと。

文学博士のマリアの影響を受けてジェイドが比喩を解したり気の利いたことを口にしたりと「進化」していくのが面白い。同時に「私も立ち直るのに時間がかかった」「今のジェイドは昔のママみたい」などのセリフの数々から、マリアもかつてから随分変わったのだと推測される。予告編でも使われている「あなたの心は傷つかない、傷ついたのはプライド」という言葉は経験からの叫びなのである。全ての女の変化の可能性の示唆とそのことへの祝福が感じられる映画だった。