とても素敵なこと 初恋のフェアリーテール/サマーズ・タウン

特集上映「サム・フリークス Vol.18」にて観賞。岡さんの前説によるとVol.10の「マリアンの友だち」「タイムズ・スクエア」に対応する二作とのことで、言われてみれば確かにそうだ。二人でいることが力になるって話。


▼とても素敵なこと 初恋のフェアリーテール(1996年イギリス、ヘッティ・マクドナルド監督)

オープニング、体育の時間の苛めでリュックをフェンスの外へ放り出され、コーチに怒鳴られながら知るかと帰宅するジェイミー(グレン・ベリー)の姿にママ・キャスの「It's Getting Better」。初期のケン・ローチと組んでいたトニー・ガーネットが製作に加わっているが、集合住宅の並んだ三戸の人々をシットコムか何かの導入のように紹介する手早さはローチの作風などとはまた違っており面白かった。私にはこれは、近隣住民に言わせれば「またあいつら」である彼らこそ健全であり、その健やかさをしんどい世界に少しでも染み渡らせてやろうという話に思われた。ラストシーンのママス&パパス「私の小さな夢」からのエンディングのママ・キャスが歌う、大好きな「Move In a Little Closer Baby」に元気が出た。

家にやって来たステ(スコット・ニール)の、バスルームで見てしまったお尻の割れ目にどきどき…する場面かと思いきやその背中には父や兄による暴力の跡、初めての接触もそれにクリームを塗ってやるというのには、目の前の他者が暴力を受けているという事実とその者への恋心とを一緒に受け止めねばならないことをどう飲み込んでいいか分からなかった。彼と一緒だと幸せだ、体にも触れたい、自分は何者なのかと思い始めたジェイミーは、今ならばドラマ「ハートストッパー」(漫画は未読)のようにインターネットで調べるところ、ゲイ雑誌を万引きするしかない。でも彼は読み込んだそれをステに見せ、更に母サンドラ(リンダ・ヘンリー)とのやりとりで泣いた後日にはゲイバーに行こうと誘いもするのだった。この何という強さ、朗らかさ。

ジェイミーとステが初めて同じ向きで寝る時、母サンドラに買ってもらった雑誌を読んでいたベッドの小ささにびっくりする。体だけ大きくなった、買い替える余裕がない、事情は色々考えられるけども、まだ子どもの二人は学校からは抜け出せるかもしれないが家からは本来抜け出せない。「パブなら出禁」に「追い出せよ」と言い返されても、サンドラには勿論そんなことはできない。あの場面のリビングの外に太陽が明るく眩しく照っていたのが忘れられない。思い返せば映画の始めでも終わりでも、ジェイミーは知らずサンドラの方だけが子に気付いて追っていたじゃないか。


▼サマーズ・タウン(2008年イギリス、シェーン・メドウズ監督)

シェーン・メドウズの「THIS IS ENGLAND」(2006)で移民が悪いんだと洗脳され悲しくもパキ野郎!などと叫んでいたトーマス・ターグースが、ここでは「明日へのチケット」のケン・ローチ編を彷彿とさせる列車で登場し、ポーランドからやって来たマレク(ピョートル・ヨガイラ)と一人ぼっち同士でつるむようになる。「とても素敵なこと」と続けて見ると生活のために必死に働く一人親(母親の方は女であること、父親の方は体力があることでもって仕事を得ているとも言える)と住む少年とそういう親を持たない少年の交流という共通点があり、リビングのソファや子ども部屋のベッドといった場所の持つ意味合いも被っている。子どもや学生の時分は確かにベッドが誰かとの居場所だったなと思い出した。

見ながら随分とんちんかんと言えばとんちんかんなことを考えていた。先月落語会で「不動坊」(好きな噺)の女版を聞いたんだけど、元々はお滝さんの再婚を阻止せんとする長屋の男達のドタバタなのが再婚相手の男の追っ掛け女二人の話になったところ、片方が彼とくっ付いたらもう片方はどうするのという男版には無い突っ込みが追加されており、男達はどういうつもりなのかとふと思ったのだった。しかし本作を見ていてふと、いや違う、二人だから彼らはマリアが追えるんだと気付いた(ぎりぎりで女を利用したホモソーシャルに滑り落ちそうでもあるけれど。女版「不動坊」にあんな改変がなされるのは女のそれが一般的じゃないからなのだ)。共に故郷から出て来たばかりなのに、二人だから、大きな駅を目の前に、あそこから一緒にどこかへ行こうなんて気持ちになる。それこそが(俗語じゃない)「尊い」ものなのだ。