不都合な理想の夫婦


英国人のローリー(ジュード・ロウ)の母(アン・リード)いわく「今の女は疑い深い、私は疑ったことなんてなかった、死んだ夫を知り尽くしてたからね」。アメリカンガールのアリソン(キャリー・クーン)は母(ウェンディ・クルーソン)に「難しく考えすぎなのよ、夫に任せておきなさい」と言われそうしてみるが、彼女は夫を知らなかった。ずっと(数分あるいは数時間前から、数日、あるいは数か月、数年前からという広い意味で)考えたあげく自分の方から電話を掛けたことを隠していたのは「企み」と言えるだろう。預かり知らない誰かに物事を任せるとは相手の企みに乗ることなのかと思わせる。

アメリカでは朝夕と子に食事を作り小さな丸いテーブルで一緒に食べていたローリーが、移住したサリーの豪邸ではキッチンに入らず「家に付いている」巨大な長方形のダイニングテーブルの家長の席に座る。この国の団地で生まれ育った彼(何十年ぶりかで実家へ帰る画に「狼たちの処刑台」のマイケル・ケインをふと思い出す)は男は外で稼いで稼いで家族に贅沢させねばと思っている。それが最後には、その机の一か所に皆で固まって、姉と弟が「きっとうまくいくよ」と作った食事に向かう。子ども達がその年まで無事に育ってくれていてよかったことだと思う。

セックスで先にいかれたら自分もいくまで続ける。尻を叩かれれば自分も叩き返す。思うところあってもコミュニケーションが得意な方でなく感情を外に出さないアリソンの魂が、遅れてアメリカからやって来た馬である。彼女の魂そのものであり、彼女の代わりのように激しく音をたてる。そしてそれは埋めても埋め切れなかった。

アリソンに車に乗って行かれて捕まえたタクシーの運転手も農場主同様に顔が見えないが、ローリーは彼の前では、母親に言っていたのと異なり子どもは(「血の繋がり」のある息子だけでなく)二人だと言う。運転手は「あんたのしているのは父親のすることとしては最低限にすぎない」、最後にこちらを向いて「金がないなら降りてくれ」と突きつける。ふと、昔は「タクシーに乗ったら運転手が神様だった」的な映画があったものだと思った。