サンドラの週末



とても面白かった。途中で気付いたんだけど、これ、最初からずっと、サンドラの生命が揺らいでる話なのだ。「鳥になりたい」だなんて、人間がそんなふうに思うような社会、世界とは常に辛いものであっても、もうちょっと、何とかならないものかと思う。
見ながら「十二人の怒れる男」を連想した。全然違う、その違うところにこの映画の意味があるんだけども。テーマとしては「パレードへようこそ」と通じるところがある。ただし「分け合うパイの大きさ」が決まっている(のかどうだかもよく分からない)本作には違う種類の苦悩がつきまとう。


オープニング、日中ながらベッドに横たわり眠るサンドラ(マリオン・コティヤール)。タンクトップにまとめたままの髪。衣服からブラジャーのストラップが丸見えというのは、「一般的」には違うんだろうけど、祖母に下着や肌が出ないよう厳しく言われて育った私には「解放」の印だ。始めにこの解放感を映画で味わわせてくれたのはケン・ローチで、そこでは解放的な気分のまま終われたけど、本作は、見ているうちにまた息苦しくなってくる。
ポスターにも大々的に使われているサンドラのタンクトップのピンクには、「Mommy」のダイアンや「チャッピー」のヨーランディのピンクと違ってうきうきしない。映画の中では映えてるけど、意思が感じられないから。でも月曜の朝、彼女の目にはあのピンクが違って見えたかもしれない。あの日以降、彼女の格好はどうなるだろう?


サンドラは始め「泣いちゃダメ」と自己を律しているが、夫のマニュ(ファブリツィオ・ロンジョーネ)の前で涙を流すとダイニングに戻り、家族ぐるみで問題に立ち向かう。子どもらに事情を説明する描写は無いが、幼い息子はともかく小学生位の娘がPCを立ち上げ、自らは電話帳?を広げ携帯電話を手に同僚達の住所を調べる。作中最も心に残る画だ。
しかし「相手」に向かう時はサンドラだけ(途中、マニュに戸口まで一緒に行こうかと言われるが断る)。前述の場面の直後、最初の一人に電話で説得にあたることになり、家族から離れて話し始める。電話を持つ際、ぎりぎりまで切られた爪のせいか、「美女」マリオンの手が労働者のそれに十分見える。尤も宣伝には「マリオン・コティヤールがこれまでの印象とはがらりと変わり」とあったけど、私にはいつものマリオンに見えた。「サンドラ」に見えないのではなく、人が身綺麗にしていようといまいと、私にはそう変わらなく見えるということ(あるいはそれが「美女」の証なのだろうか・笑)


サンドラとマニュの対等な「一対」ぶりが印象的だ。彼らは「片方だけの稼ぎじゃ家賃も払えない」。「公営住宅に戻ればいい」とサンドラが言うと「絶対に戻るものか」とマニュが返す(字面だけ見ると夫の勝手のようだけど、おそらく二人共にとって厳しい環境だったのだろうと思わせる)。「物乞いみたい」と泣くと「闘うんだ」と言い聞かせる。
中盤、弱気になったサンドラは「別れた方がいいのかも」とこぼす。マニュが「なぜそんなことを」と問い返すと「もう4カ月も愛し合ってない」。「愛し合ってない」から愛し合ってないだなんて「逆」じゃないか、彼女は相当弱っているんじゃないか。彼は「また愛し合えばいい」と返す。パートナーであるならば、非常時には、そうと分かっている相手に対してであっても、非常時なんだからと指摘し続けなければならない場合もあるんだと思った。


冒頭、友人を訪ねたサンドラが「同情してほしくない」と言うと、彼女は「同情はしていない」と返す(この「同情」というのはフランス語と日本語とでニュアンスが違うのかな?)この時、画面の中のサンドラと相手は「対等」に映される。終盤、友人は「あなたを『支持』したいから(投票する)」とはっきり言う。これはラストにも繋がる大事な言葉。尤も彼女がこんなふうに「変わる」ことが出来たのは、それが可能な立場だからというのもあるけど(変わろうとしても即、飢えてしまう人だっているわけだから…)
ともあれ私がサンドラの立場なら、とにかく票が欲しい!だろうけど、私への思い入れよりも、「票を入れること」の意味を考えて、それを「支持」して欲しい。それが「鳥になりたい」なんて思わなくてもいい社会への一歩だから。


「自然音」「生活音」ばかりが響く中、サンドラとマニュは作中二度だけ音楽を聴く。カーラジオから流れてきた「返事を待つだけ」なんて歌詞のペトゥラ・クラークの曲を「暗いから」と始め消すが、促されてボリュームを上げ、彼の手を握って聴くのがいい。終盤の病院からの帰りには、マニュが「ロックでも聴くか?」とやはりカーラジオを着けるとジム・モリソンの「Gloria」が流れ、車内は盛り上がる。
家庭の食卓にはピザばかりが並ぶ。作中のサンドラは「病気」であり、彼女の「心」がやられていることは、「食事が疎か」であることでも表される。用意してもらっても何も食べないサンドラだが、友人が「支持」を表明しに来てくれた後には、初めて食欲を示し、生き返り始める。ラストシーンの夫とのやりとりがランチの約束で終わることからも、彼女が「生」を取り戻したことが分かる。