ミッドナイト・イン・パリ



ウディ・アレンは苦手で近作全然観てないけど、主役がオーウェンならと公開初日に出掛けた。新宿ピカデリーでは大きめの3番スクリーンが、最前列しか空いてないほど混んでたのでびっくり。作家志望の脚本家(オーウェン・ウィルソン)が、憧れのパリで夜毎にタイムスリップして「黄金時代」の芸術家たちと交流する話。


冒頭数分、スクリーンにはパリの朝から夜までが映し出される。「観光客」目線で切り取られたそのきらめきには抗えず、こちらは強引に「パリに恋」させられる。しかし一方で辟易してしまい、「『パリ』は素晴らしい、もしこの映画がくそでも…」と思う。
主人公ギルを演じるオーウェンは、服装から喋り方までウディ・アレンが乗り移ったよう。でも、パリのアメリカ人が、名所で御託を並べられ皆の後ろでつま先上げ下げしたり、「有り得ない」出来事に酔った目をきょろきょろさせたり、街角で「脳腫瘍ができてるのかも」と独りごちたりするの、ウディ・アレンなら蹴飛ばしたくなるのが、オーウェンだと愛らしかった。いつもに増してビルドアップから遠い体型も、役に合わせてるのか…(笑)


映画はくだらなくも面白かった。突飛ながらどうってことない(「世界」に何の影響もない)話を洗練された語り口で扱うあたり、古典落語みたい。何度か同じことが繰り返され、クライマックスで「ひねり」があり、サゲに至る。「探偵」があとをつけたら、ボロ家で狐と会ってるんじゃないかなんて思ったり(笑)
ただ、「サニー」(感想)を観た時に「今」の方がいいじゃんと思ったように…ってちょっと違うけど、本作も冒頭の時点で「今」のパリが好きになっちゃったし、芸術家に会いたいという気持ちが分からないから、そういう点では、他の人より受け取る歓喜が少なかったかも。それから、観賞後に同居人が「どんな芸術家も先人がいてこそ」と言うので、ああそういうものなのかと気付かされた。


ギルの婚約者イネス(レイチェル・マクアダムス/衣装がどれもキュート&お似合い!)は、恋人との旅行なのに「昔、夢中だった」彼(とその彼女)と一緒に行動しようなんてとんでもないやつ(オーウェンだから贔屓?してるわけじゃなく・笑)。ギルを残して出掛ける車内でお粉のコンパクトを手にしてるのが印象的だったんだけど、その後も何かというと彼の前で身支度に忙しい。朝のベッドで後ろから抱えられた際の気の無さが、笑っちゃうというか、まあよく分かる(笑)でもって荷物が大きい。量もすごければ、バッグもでかい。対して「夢の時代」の女であるアドリアナ(マリオン・コティヤール)のポーチの小さいこと!そこに「現実」と「夢」を見た。
夜毎のタイムスリップを繰り返すうち、間に挟まる「現実」、婚約者やその周囲とのやりとりがうっとうしくなってくる(作中のギルはそれほど感じてなさそうなのに)。でも観終わってみると、あれも必要だったんだなと思う。


ギルが(「オーウェンが」と書きたくなるね、はまってたから・笑)イネスとその裕福な母親と一緒に家具屋に行き、椅子(の値段)に躊躇する場面も印象的だった。新生活に腰がひけてるってのもあるんだろうけど。「夢の時代」では皆、お財布なんて出さない。それが有名人ってものなのかな。
作中のやりとりに、カウリスマキも原作にした「ラ・ボエーム」が出てくる。芸術家の暮らしなんて華やかなもんじゃないと主張したく「ラヴィ・ド・ボエーム」を撮った彼が私は好きだけど、本作の軽やかな芸術家たち、なかなかチャーミングだった。皆明るく優しく、ウディ・アレンのイタコのように、前向きな芸術論を口にする。場内も楽しげな笑いに満ちており、映画館で見られてよかったと思った。