クーデター



オーウェン・ウィルソンピアース・ブロスナンの共演というので色めき立つも、予告に全く惹かれず、それでも出向いてみたら、面白かった。ただし「ぎりぎり」である。ラストシーンのジャック(オーウェン)一家が犬の固まりのように見えたので、犬の話と考えることにした(笑)


東南アジアのどこかの国でとある大ごとが発生するというアヴァンタイトルはとても「アジア的」で、二人のことをひと時忘れていた。血と共にタイトル「No Escape」。場面換わって、飛行機の窓にうっすら、本当にうっすら(振り返ると「命の火」が消えかかっていたかのように・笑)映るオーウェンの瞳。次いで横顔のアップ。人物のアップが多く、オーウェンのこの画や、ホテルに着いて砂嵐ばかりのテレビを見つめる横顔などに不吉な予感を覚える。
ホテルのフロント係や雑貨屋の主人などの顔のアップは「通じ合わない」イメージを増幅させる。これは撮り方の問題で、あのような映像ならば、それが「日本人」でも、「日本人」の私だって断絶を感じるだろう。反乱側の面々よりも一家を「助けて」くれる人々、例えば見逃してくれる青年やかくまってくれる老人などの方が印象的に映されるのは、一家にとって彼らの方が「分かりやす」くは無い、謎だからだと思う。


空港に降り立つオーウェン一家とピアース・ブロスナンの図に、こんな映画(その時点では海のものとも分からず)より彼らによる「ナショナル・ランプーン」(「バケーション」)シリーズの続編でも見たいものだと思ったけど、もう彼らじゃ「新しく」はならない、そういう感じの映画ではあった。レイク・ベル演じる妻が「私は夢をかなえなかったからこそあなたと一緒にいられる、娘達もいる」だなんて、自分がそう言うのも映画がそう言わせるのも勿論勝手だけども「世のため」にはならない、それはジャックの仕事に対する態度に通じるところがあるように思う。
ホテルのバーでジャックとやりとりするうち、当初口にしていたような「女目当て」の男じゃないな、ということをうかがわせるピアースの表情の演技は手練れのもの。彼演じるハモンドいわく「彼ら(反乱側)も子どものためにしてるんだ」。すなわち皆が家族のために、「家族」のいないハモンドはより大きな家族(our country)のために行動している。これがこの映画の「理」である。


嫌いなところばかり書いちゃったけど、全編これ山場という感じで楽しく見た。窓から見下ろす戦車などより普通の車の方が怖い、それよりも「石」が怖い。石が怖い映画なんて、いい!そもそもジャックが新聞を買いに出掛けて遭遇する市街戦の主な武器の一つが「石」なのだ。始め飛び交う中を逃げ惑っていたのが、やがてはっきりと自分を狙ってくる恐ろしさ。市街戦の後にホテルに戻るまでの一幕はすごかった、先月見た「ベルファスト71」の、事情は違えど似たようなシーンを思い出した。
ただ私にとっては「感傷的」に見せるため?のスローモーションや音楽が煩く、100分程度の映画だけど、もっと長く感じた。子どもに関する描写のうざさもかなりぎりぎりってとこ(笑)