GODZILLA ゴジラ



公開初日、TOHOシネマズ日劇のスクリーン1にて2D字幕版を観賞。とても面白かった。入場時は空いてたので寂しかったけど、帰り際に振り向いたら8割方埋まってたので嬉しくなった。
(因みにゴジラシリーズのうち私が見たのは、一作目と「モスラ対ゴジラ」(出身地の名古屋に来襲するから)「ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘」(同居人がエビラ好きだから)の計三作のみ)


(以下「ネタバレ」あり)


とにかくゴジラの見せ方が好みで、まず分量としては、丁度のボリュームに嬉しい程度のおまけを付けてもらった、という感じで満足。
ゴジラ達の「これからいいところ」を、エル(エリザベス・オルセン)が地下に避難する直前にちらと見上げる、扉が閉まる、場面替わって、「片道」の降下作戦(この描写がなんなんだよってくらいかっこいい)に参加したフォード(アーロン・テイラー=ジョンソン)が始めはゴーグル越しに、次に高層ビルの谷間に降り立って建物越しに見る…この、二人がそれぞれゴジラに初遭遇するくだりなんて最高。
遡ってハワイの章で、何やら巨大なものが発炎筒に照らし出されるのを(作中の「一般人」と共に)見ていると、背後から軍が発砲し始めてびっくり、なんて場面も面白い。他にも何度も、人々が怪獣の破壊だけじゃなく軍の発砲からも逃れなきゃならないという箇所があるんだけど、怪獣映画にはよくある場面なのかな。


数日前に午後のロードショーで放映された、ギャレス・エドワーズ監督の前作「モンスターズ/地球外生命体」を見ておいたので、余計面白く感じられたであろう部分もあった。向こうは赤の他人がキスに至るまでの話、こちらはキスに始まりキスに終わる話。加えてどちらの「モンスター」もいちゃこらしており、ゴジラだけが露骨に「人間じゃない」。
本作も前作同様、フォード・ブロディ大尉が家族の元へ帰るまでのロードムービーと見ることも出来る。母親サンドラ(ジュリエット・ビノシュ!)の最期の言葉は「(家族の元に帰るのが)間に合わなかった」だけど、そうならないよう頑張る。最後、「神」的なもの(=ゴジラ)に遭遇して、ふと力が抜けてしまうというのが面白い。
子どもの頃のフォードもその息子のサムも「怪獣」で遊んでいる(男の子なら「当たり前」かもしれないけど、強調されている)。1999年のフォードの部屋に怪獣映画のポスターがあるのには、「映画『ゴジラ』が無かった日本」でも怪獣は流行っていたはず、という怪獣愛を感じた(「マン・オブ・スティール」の回想シーンに「スーパーマンのマント」が出てきたのをふと思い出す)。「怪獣」と「米軍」のおもちゃで遊んでいるサムが、ある日一度に両方に遭遇しちゃうんだからすごい。スクールバスの窓に貼り付いてる時、口が開いてたもの。もっともパパなんてゴジラの背びれ発光からのアレを二度、しまいには目と目が合ってるわけだけど(笑)


特撮のことが分からないので何故そう感じるのか説明できないんだけど、「昔の日本」の作った映像を見てるような気持ちになる箇所が幾つかあった。例えば1999年の原子力発電所での「揺れ」と2014年の跡地での「揺れ」の感じや、最後にゴジラが入ってゆく「海」の感じなど、ハリウッド映画ぽくない。怪獣同士の戦いも、まるでゴジラの着ぐるみの中に人間が入っているようで「親近感」が湧いた。一人になると肩を落してくたびれてるように見えた。一方でいかにもアメリカらしい、というかスピルバーグの映画(「ジョーズ」や「宇宙戦争」など)を思い出す場面も多々あり、どちらも味わえて得した気分。
ご贔屓のサリー・ホーキンス渡辺謙演じる芹沢博士の助手として映画の最初に登場、「せんせい」という日本語も聞けたので嬉しい(笑)けど謙さんが作中「役に立たない」のと違う意味で「存在意義」が無かったし、周囲にかなり雑に扱われている(私が作中の彼女なら「?」と思うだろう)。謙さんは呼ばれない限り彼女の方を振り向きもしないけど、あの「時計」にまつわる彼の話を、彼女は聞いてるのだろうか?