ベイビー・ドライバー



これが今年大量公開の「車の事故で大切な人を亡くした主人公もの」の真打ちだったとは…(もう無いよね!無いといいな・笑)


オープニングの「いつものお仕事」描写の後の、ベイビー(アンセル・エルゴート)がコーヒーを買いに行く一幕の折り返し地点において、初めてその名が明かされる…彼が名乗る時、後ろでコーヒーマシンのカーッ!という音がしているのが好きだ。
作中一番よかった音の演出は、郵便局の下見の帰りに家まで送られたベイビーがドク(ケビン・スペイシー)とエレベーターの前で話している時にどこかから聞こえる電話のベル。それはその後にベイビーがデボラ(リリー・ジェームズ)に掛ける電話のベルの音、すなわち彼女の声を聞きたいとひたすらに願う彼の気持ちなんである。


ベイビーは「こっちの世界」に渋々生きる「あっちの世界」の人間であり、「住む世界が違う」デボラと結ばれるべきではないと思っている(ただしその決意はかなり緩い)。作中には幾つかの愛があり、バディ(ジョン・ハム)とダーリン(エイザ・ゴンザレス)は一心同体で同じ世界におり、またやりとりからしてドクにはかつてベイビーのように愛した人が居たが「住む世界が違う」と別れたのだと思われる。
ともあれ物語の最後には、ベイビーの故郷である「あっちの世界」の人々がこぞって彼に手を差し伸べてくれる。彼はそれに応えるように生きるだろうか?「橋」の上から「鍵」を投げ捨てるのがもう車を運転しないということを意味しているのならば、そうなんだと思う。


「大人」と「若者」、あるいはkidsの領域というものもある。大人の男達は、デボラをcuteと見ても女とは(少なくとも自分の相手となる女とは)見ない。尤ももしやと調べてみたら、エイザ・ゴンザレスの方がリリー・ジェームズより年下なんだけども(だからダーリン役も「若すぎる」よね、キャリアの長い女優の仕事が無くなるわけだよ)
アンセル・エルゴートは「きっと、星のせいじゃない。」でもシャイリーン・ウッドリーと、自分の年ならばまず行かない高級レストランに出掛ける場面があり印象的だったものだけど、本作でもデボラを連れて行く。彼が聞いたままのことをするというのと、バッツ(ジェイミー・フォックス)がドクが口にしたベイビーの「事情」を他の面々の前で一席ぶつのとは少し似ており、車を次々乗り換えるのにイメージが被る。


「あっちの世界」の人間であるはずのベイビーが聴く曲に合わせて「こっちの世界」の人間が人殺しをするというのは、何だか「違う」ように思われた。そもそも音楽に合わせて銃を撃つの(を見るの)って、私はかっこいいと思わないな、倫理的な意味ではなく。それよりも、これまでと同じじゃんと言われそうだけど、「ブライトン・ロック」が流れるあの一幕の方がずっと楽しかった。
会話がかなりいまいちなのも残念だった、特に男女絡みのやつ。バディを蔑むバッツに対するダーリンの「言い返していい?」に何だろうとわくわくしてたところにあれじゃあ、あの二人が所詮は「俺の女に何ほざいてんだよ」「気をつけな!」程度の、すなわち男の力を笠に着るのを(正しく言おうとするならば「笠」を着せたり着たりするのを)当然とするカップルか、という感じだ。ダーリンが机の上に投げ出した脚などかっこよく撮ってるのに、そういう点が残念だった。