
EUフィルムデーズ クラシック・セレクションにて観賞。1975年フランス、リリアーヌ・ド・ケルマデック監督作品。アロイーズ・コルバスの絵を講義で取り上げる年配の男性が「男性の描写には嘲笑と冷酷が見られる、彼女の熱狂的な愛を拒んだ相手への…」と話すと学生が挙手するが後でと遮られる場面からの、アロイーズ自身が美術館で自分の絵を見て話しながら歩く姿が最高に…うまく言えないけれど優しく素晴らしかった。
冒頭まず女性の日常が描かれる。新聞片手にトンネルや飛行機といった「大きな」話をしつつ、女が引いた椅子に掛け女が作って盛った料理を口にする(あげくに文句を言う)が女の方は見ない男達の食卓など私だって死んでもつきたくない。アロイーズ(イザベル・ユペール)は喉が痛いと断って上った二階で朗々と歌い声を響かせたものだ。後に自分で生計を立てていたドイツからスイスへ戻らねばならなくなった彼女が「戦争なんて知らない」と激しく嘆く時、あの男達は新聞をどんな顔で読んだのだろう。帰りの列車内の軍服姿の男達ははしゃいですらいるような感じだったけれど。「大局観など怖くない」と言いつつ上着の襟で自身を掻き抱くアロイーズの姿が心に残る。
そして、その中に生きるアロイーズの困難が描かれる。冒頭楽譜を買いに行く店で赤子を抱えて降りてくる店主やなかなかのアドバイスをしてくれる(が彼女はこっそり抜けて帰る)盲目の歌の教師など、音楽の世界は風通しがよく見える。しかし音楽は世間的にはせいぜいが「女の嗜み」、父いわく「意味のない」もの、アロイーズにはずっとは居られない場所であった。教会で自分の声が紛れてしまうとの不満から、彼女の生涯の望みが自分一人の声を響かせることだと分かる。しかし教会での歌の目的は自己表現でなく「神に声を届ける」こととされ、やがて「神に全てをゆだねればドイツ民族は繁栄する」との説教がなされるようになる。
戦争する者は人殺しと今で言う一人デモをする辺りからアロイーズ(長じてデルフィーヌ・セリッグ)の声はあからさまに遮断されるようになるが、新しい院長が「ここでは人々が色彩を作る」と言う精神病院のゴミ箱の紙に彼女は新たなアートを生み出す。時が下って「プリーツスカートが膝丈になった」時代の女性がアロイーズの、自分の声を響かせたいという願いを叶える。院内で、特に交流などなくとも、アイロン掛けを担当していたアロイーズが絵に注力するようになると他の女性が不得手ながらもアイロンを掛けるようになっていたのが面白かった。そういう優しさ…というのもそぐわない、人の、普通の気持ちが枯れることはない。