潜入者



公開初日に観賞。楽しく見た。


ダイアン・クルーガー演じる新人捜査官キャシーいわくの「見事な幕切れ」の描写が辛気臭くて感傷的に過ぎて私としてはすっきりせずに終わるも、最後に提示される「本人」達を見ているうち、人って実際ああいう気持ちになるものかもしれない、でもってそういう物語の主役にはブライアン・クランストンが合ってるに違いないと思う。


オープニングはクランストン演じるロバート・メイザーの、潜入捜査官としての「いつものお仕事」の一幕。黒々とした髪が不自然すぎやしないかと思っていたら、ボウリング場の女の話を聞く仕草に落ち着きがあり、その体を見る視線は後の「本物」とは全く違うものであり、ちゃらくてせこい奴を演じているはずなのにと戸惑ってしまった。しかし話が進むうち、それでいいんだと思えてくる。どうしても知性や愛嬌を消しおおせない人間なのだ。


ボブが報酬もそう多くない、夫の遺産を元に経営手腕を揮うおば(オリンピア・デュカキス!)から「負け犬になるな」と言われるような仕事に踏ん張っている理由は、終盤のテレビカメラの前での上司の「麻薬の売人達は子どもたちが未来の客だと言う」とのセリフに表れている。冒頭の「仕事」から帰宅するとまず子ども部屋を覗くのに始まり、「町から麻薬を一掃できた」と成果を語ったり、「有害」な場面になると居間のテレビを消したり(笑)といった描写の数々がそれに繋がっている。


とはいえ、「潜入捜査」なる仕事には高揚感のようなものもあるのではと想像させる。おばさんが「悪のり」するのは「お金がなくてもシャネルを着て」いた頃を思い出してのことかもしれないし、キャシーはアルケイノ(ベンジャミン・ブラット)の家に招かれた時やエスコバルに会えたと知った時には興奮を隠さない。相棒エミール(ジョン・レグイザモ)の「天職だ」にもそれを感じる。ボブについてのみそうした高揚感が表立って描かれないのは、この映画がロバート・メイザーの著作を元に作られていることに関係しているのかもしれない。


尤もボブの仕事に「協力」する素人のおばや新人のキャシーの方が「一枚上手」であるかのような描写が(多くの映画でよくあるように)面白おかしく映らないのも当然で、後に彼が言うように「一度口を滑らせたら死ぬ」可能性は、仕事を長く続ければ続けるほど大きくなるのであり、彼女達が恐怖を知らないだけなのだ。


小学校の保護者会の場面で教室に貼ってある写真から、レーガンの時代なのだと分かる(ちなみに先生が保護者の意見を聞いてからシラバスを決めると言うのに、当時のアメリカなんだなあと思う)。レーガンは更にニュース映像、とどめに「ナンシーの麻薬撲滅運動なんて無意味だし、元役者が大統領だなんてまやかしだ」とのセリフに出てくる。これはそんな時代に、演じるという仕事で子ども達によりよい未来をと頑張った父親の話であった。


「80年代は前半と後半で全く違う」とは岡崎京子の弁であり、アメリカじゃなく日本の話だけど、レーガンの時代といってもいつ頃だろう?と思っていたら(自分が物心ついた頃のことだから気になる)、ボブが「大富豪」として初めて人前に現れた時に出向く店で流れるNu Shoozの「I Can't Wait」で、任期の終わりの方のようだと分かった。この映画は音楽が素敵で、ある人物が殺される時の「誰も知らない私の悩み」や、「結婚式」に呼んだ客を逮捕しようとする日の長回しの際のThe Whoの「Eminence Front」なんてよく合っていた。


本作は「俺がスーツを着たらまるでウェイター」のジョン・レグイザモ映画として最高である。冒頭、レグイザモ演じるエミールはボブの家を訪ねるが、「20分もノックしたのに」家族団らん中の彼に気付かれず、内にも入れてもらず裏庭で応対される。しかし最後には、「友人」を失いうなだれるボブに「撃たれなかった友達もいる」と声を掛け、初めて手を握り合う。これはボブが、昔から隣に居た、ずっと在ったエミールとの友情に気付く物語だとも言える。