ウォーデン 消えた死刑囚/ジャスト6.5

第4回東京イラン映画祭にて、時間の合った二作を観賞。いずれも組織内である程度の地位まで上り詰めた男が自身の仕事の内容を見つめ直すという内容で、イスラム革命前と現在におけるそれぞれの問題が描かれている。


▼「ウォーデン 消えた死刑囚」(2019年、ニーマー・ジャーヴィーディー監督)は、イスラム革命前の1966年を舞台に、立ち退きのため空となる刑務所で一人の死刑囚が行方をくらました一日を描く。

刑務所長から警察署長への出世が内定した主人公のヤヘド少佐(ナヴィド・モハマドザデー)、だが知らせを持ってきた大佐に部下が出すのはお茶だけ、お茶菓子は?と思ったところで彼もそれを探すが見当たらない。ここからぐんと面白くなっていく。仕事の内容ではなく出世だけが目的の男が、バッジだらけの軍人から「普通の男」になるまでが描かれる。

冒頭より、絞首台を作ると「人様」の家族に恨まれるからやりたくないと断っている大工の囚人(少佐いわく「囚人は『人様』じゃないだろう」)、医者に脚を見てもらっているのを切り上げさせられる囚人などの描写に、ここにはどんな人々が収監されているのだろうと思う。逃げた男は村長に逆らって陥れられ死刑を三週間後に控えており、見直しの嘆願書は無視されている。当時の刑務所とはそういう場所だと言っている。

序盤の移送のバスで初めて女性が登場する。日本の昔の女性バスガイド、いわゆる「職業婦人」ふうの制服姿の三人、後にカリミ(パリナーズ・イザドヤール)が戻ってきて彼女達は社会福祉士だと分かる(女性の仕事だったのだろうか)。少佐が年の離れた彼女に恋心を抱き、空っぽの刑務所内に恋の歌を響かせるのが私には少々気味悪かった。


▼「ジャスト6.5」(2019年、サイード・ルースターイー監督)は、薬物依存の路上生活者が溢れるイランにおける警察麻薬撲滅チームと麻薬密売人の応酬を描く。

イラン警察では、あるいは麻薬撲滅チームでは既婚であることが条件だから、離婚した妻と再婚したのだと主人公のサマド部長刑事(ペイマン・モアディ)は話している。電話で「ママに言えと言われたのか」などと子とやりとりしていることから、家庭の空気はそうよくなさそうだ。彼の「仕事が好き」とは仕事をどう解釈して言っているのかと思いながら見る。冒頭の一幕で死者が出ているのが、後になって響いてくる。

そのうち主人公が売人のトップであるナセル(ナビド・モハマドザデー)に移ってくる。後ろ姿での登場シーンから、「一時間後に死ぬはずだった」のをサマドによって引き伸ばされ地獄を見せられることになる。一人分の幅しかない路地の先にある、それゆえ帰宅時には列を作らなきゃならないスラム街の、湿気が多くて洗濯機を買っても三ヶ月で錆だらけの家が彼の地獄である。それは皆の地獄と地続きだ。

映画の真の主役は皆=「大衆」である。巨大な土管(?)の山で路上生活者が麻薬にふける場面、刑務所に収監された彼らが押し込まれ立ちつくし蠢き向かってくる場面などに「人海」という言葉が浮かぶ。ところで冒頭逮捕された人々のうち男の格好をしていた少女達は、女と分かると危険だからああしていたのだろうか?