クロース・エネミーズ/バンリューの兄弟


Netflixにて、団地が舞台のフランス映画二作を観賞。いずれも男の話。

▼「クロース・エネミーズ」(2018年フランス・ベルギー合作、ダビド・オールホッフェン監督)は同じ団地に生まれ育った幼馴染の男二人(マティアス・スーナールツレダ・カテブ)が一方は麻薬の密売人、一方はそれを取り締まる検察官として再び接触する話。

コミュニティの「おやじ」でありマヌエル(スーナールツ)の「ボス」でもあるラジの移民ジョーク…「『赤ん坊のミルクが必要です』と貼り紙したのにフランス人は全然お金をくれない/おれはお金をたんまりもらったぞ/何て書いたんだ/『あと10ドルでモロッコに帰れます』」(聞いていた若者が続けて「アルジェリアと書けばもっともらえた」)。ドリス(カテブ)いわくの彼らの「経済活動」はそうした環境下にあるものだと言える。麻薬課には女性上司がいるが密売グループに女はいない、それだってそうした環境下にある。

マヌエルとドリスが周囲には秘密で互いに会う場面は妙にいやらしく感じられる。関係性がどうというより、何かを隠している人間が単独で放つ性的魅力とでも言おうか。そう、どちらも本当に一人なんである。マヌエルの仲間内は結束が固いように見えて裏切りや殺人が横行しており、「誰かが殺されてから動く殺人課じゃなく」麻薬課を選択したドリスは両親と離れて暮らし、思いの元である団地では忌み嫌われる。父親に恵まれず自身は子を大切にする男二人の話とも取れる。

それにしてもパリを舞台にした映画は縦列駐車を効果的に使ったシーンが多い(一番に思い出すのは「モン・ロワ」のヴァンサン・カッセルの運転場面)。本作冒頭のパリでもマティアスが、縦に並んだ車同士が隙間なくくっついていることを利用して逃げ延びる。東京ならすぐ殺されているところだ(笑)


▼「バンリューの兄弟」(2019年フランス)はラッパーのケリー・ジェイムズの初監督作。郊外(Banlieue)に暮らす三兄弟、監督演じるギャングの長男デンバ、弁護士を目指す二男ソレイマン、中学卒業を目前にした三男ヌムケを描く。デンバに犯罪ではないあることを教える人物としてマシュー・カソヴィッツがちらと出演。

法律学校の卒業を控えたソレイマンは弁論大会において「郊外の現状につき、政府は単独で責任を負うべきか否か」の否定側の抗弁を担当することになる。肯定側は「パリ5区生まれのブルジョア」のリサで、二人は惹かれ合っている。大会本番がクライマックスとして置かれており、その討論はバトルの様相を帯び、やがて一体となって聴衆を圧倒する。地元で自分の写真を撮った彼女の前で彼は「郊外の生活は写真に写っているようではない」と述べる。自分は熟知している、そこに住んでいるからと。例えば映画で見るようではない、と映画で訴えることには意味があるのだろうか、私はあると思う。

母親含めた兄弟の団地での暮らし(ベランダを通って兄は弟の部屋に行く)や、地元の学習教室を手伝うソレイマンの姿(彼の担当は国語で、「レトリック」などを教える)などこまなか描写が面白い。とはいえこの映画のようにあるものをあるがように描けば物事は実際そうであるように複雑に見え、それがある程度面白いのは当たり前で、それ以上のものを感じられなかったのは確か。

大音量でバスに乗り込んできた非白人の二人が、白人の運転手に注意されても「痛めつけてやろうか」と意に介さないのが兄弟の母に言われるとしおらしい表情で音楽を止める。多くの映画で似たような場面が笑えるシーンとして挿入されてきたものだが、ここではそうじゃないのが信用できる。だって笑える問題じゃないもの。