パワーレンジャー



夏の終わりを感じたので、何となく、滑り込みで。戦隊ものを見たこともなければ、渋谷TOEIに行ったのも初めて。面白かったけど、オープニングからブライアン・クランストンエリザベス・バンクス、次いで高校生活の長々とした描写って、子どもに楽しいものだろうか?(笑)


ジェイソン(デイカー・モンゴメリー)が、キンバリー(ナオミ・スコット)の命を心配してその名を呼ぶと、彼女は「へんな感じ、知らない人に名前を呼ばれるなんて」と現れる。名前を知っていても「知らない」同士、というのはそれこそ小学校からの、学生時代ならではの面白さである。尤も五人の中には学校に行かないから知りも知られもしない者や、片方だけが知っている関係もあるけれど。


それじゃあ「知って」いることが大切なのかというと、そうじゃないという話である。スーツ姿に変身できずレンジャーになるのを諦めた一同が焚き火を囲んで身の上を語るくだりは、「ブレックファスト・クラブ」に始まるよくあるそれとは扱いが少々異なる。いや、後にトリニー(ベッキー・G)が「互いを知るって、自分について話すことだけじゃない」と言う通り、あれはほんの最初のステップということだろう(この辺りのセリフもそうだけど、そんなに「緻密」な作りの映画ではない)


崖の上で作中初めて女子二人だけになる場面で、女の子が二人以上いるってやっぱりいいなあと思う。ジェイソンとキンバリーが「今は治った」で(彼女には)通じる場面にもわくわくしたけれど、女の子同士の楽しさは、自分の実際だって映画で見るのだって全然別物。カフェでケーキをどうこうする場面は何度でも見たい。加えてキンバリーが過ちを犯した側だというのもいい。少なくとも日本の創作物じゃ、女は「被害者」であることを乗り越えるというのが多いから。そういうの、もう死ねばって感じ。


面白いのは、バンクス演じる「邪悪の権化」リタが(「yellow」の)トリニーを選んで訪れ仲間を売るようそそのかすところ。映画には大人が若者に「昔の私に似ている」と告げるのがほぼクライマックス、という類のものがあり、それがどうしたと思うものだけど、そう囁かれてもトリニーは全く心動かされない。似ているから何だという話である。