ビヘイビア



「カリテ・ファンタスティック!シネマコレクション2016」にて観賞。アルコール中毒の母親と暮らす少年チャラ(アルマンドバルデスフレイレ)と、彼が慕うベテラン教師カルメラ(アリーナ・ロドリゲス)の時間を描く、2014年キューバ作品。鮮烈というんじゃない、地に足のついた映画だった。


オープニング、屋上で鳩と犬の世話をし、下に「先生」を見つけ声を掛け、部屋に戻り制服のスカーフを手に急いで出掛けるチャラの様子から、(後にカルメラいわく)「机にパンをのせているのは彼」であることが分かる。しかし子どもだからようやくお金を作っても電気代が払えなかったり、母親がセックスしているのに遭遇して家に居られなくなったりする。


カルメラいわく「子ども達は(教員免許を取って50年たつ)私よりも弱い存在なのです、かつて世の中はもっと単純でしたが、今はそうでなく、私に出来るのは、何に近付いてはいけないかを教えることだけです」。(時系列順にはこれは終盤の出来事だが)この場面に続くのは、チャラが同じクラスの女子生徒イェニを「俺の女になれば守ってやる、もう誰もいじめない」と口説いて装飾品をやる場面(イェニは「喜ぶと思ってるの?」)と、飼っている闘犬を連れてカルメラの住居を訪ね「用は無いか」と聞く場面(カルメラは「犬を連れている時に会いたくない」)。これらにまさに、教員が何から子どもを守らなねばならないかが表れている。


外国の映画は乗り物を見るのが楽しいものだけど、これもそう。ごつい高架の上をのろのろがたがた走るごつい列車が何度も映る。高架の横を毎日行き来するイェニ親子の、市場で働くための、荷車に自転車をくっつけた乗り物や、車道を走る、馬にうまいことベンチを引かせている乗り物などの手作り感がいい。列車のでかい車輪の向こうに少年達が歩いているのを捉えたショットが面白いと思っていたら、その後、彼らにとっての「列車」の意味が分かる。きらきらと「コマ」(ネジ)が降ってくる光景は、美しいというより何とも妙に心をかき乱す。


顔立ちも体も美しいチャラ(面差しにはベン・スティラーブラッドリー・クーパーとを備えているふうに見えた・笑)は、襟を立て前をはだけた格好、やることなすこと、全てが「男」である。役者である少年の素なのか演技なのか分からないけれど、「男」と「女」がはっきり分かれている(日本とはまた違うふうに、そのように見える)この「社会」の反映のように思われ、それが彼らを、また遠くに生きる私をも苦しめていることが分かっていながら、その「男」の部分に惹かれてしまう。


それは、タクシーの中でチャラに「本当のおばあちゃんだったらいいのに」と言われちょこっと顔をほころばせるカルメラ、あるいは高価な扇子をもらい「きれいだよ」と言われ微笑むイェニの気持ちに少し通じるのかもしれない。きっちりと距離を置き思ったことを言う、大人のカルメラは当然としても、少女の偉いこと。キスときて、最後は抱擁なのだ、やっぱり。