狼と羊


中央アジア今昔映画祭にて観賞。2016年デンマーク-フランス-スウェーデン-アフガニスタン制作、シャフルバヌ・サダト脚本監督。前回の同映画祭で見た『カーブルの孤児院』(感想)の前日譚なんだそうでこちらも面白かった。アフガニスタンの山間の村、『孤児院』が1989年の物語なので時代はその数年前というところか。

映画は黒い羊が少年クドラット(演じるのは同名の少年、『孤児院』の主役)の父親を弔うために共同体の男達によって殺されるのに始まる。その後の女達のおしゃべりや序盤の老人の「粉ひきと妖精」の話から、男にとって妻は恵みだが女には婚姻に意思はもちろん感情を持つ余地もないことが分かる。ちなみにこの映画には話を聞く、聞かせる場面が多く、それらが私にとっても子どもの頃は娯楽だったということを思い出させた(その形を変えたものがSNSなのかもしれないけれど)。

見ながら笑みが浮かぶ瞬間が何度かあった。ギャグやジョークによらず楽しい気持ちにさせてくれる映画というのは貴重なものだが、振り返ると本作のそれは全て、平素交わることのない、いや交わらないようにされている女子と男子が同様に楽しむ遊びの場面なのだった。衣服を膨らませて川を流れたり、じゃがいもを盗んで調理して食べたり。

川の場面では作中初めて女子の集団と男子の集団が接触しそうになり見ている私の方が緊張するが、レイヤーが違うかのように何事も起こらない。後で考えるにそこにはそうしなければという当人達の力が働いているのだ。そんな共同体のいわば裾野で、姉は「6歳で結婚」し遠方へ、父親は癌を患ったあげく死に母は再婚した少年クドラットと、「気味が悪い」と避けられている一家の少女セディカ(演じるのは同名の少女)が触れ合う。

お前の髪は炭の色だろ、お前のはうんこ色だろ、あるいは「きのう女を抱いた」「おれだって女を知ってる」と言い合ったりする男子の集団と、いわゆる嫁取りのままごとをする女子の集団(妙なリアルさにふとアラン・パーカーの『ダウンタウン物語』を思い出す)。少年は男子の集団に属しているが少女は独り。少年は大人達のすることを見るが少女は見ない。少女が紐を編んでいるのにそれを得意とする少年が目を留めて二人の関わりが始まるのに、『孤児院』でも男の子だとてそれぞれだということが描かれていたのを思い出した。

クドラットの境遇を聞き「かわいそうで涙が出る」と言う幼い少女を年長の…もう十代後半に見える少女が戒めるのは、そんなことに心を動かされていては生きていけないと悟っているからだろうか。映画の終わり、「武装集団」がやってくると聞きつけ村総出で家々を捨てて逃げながらの「他の村の人達もちゃんと逃げているといいが」とのつぶやきに、区切られた中で生きるしかなくとも人は「外」に対しての優しい気持ちを持つものなのだと思わずにいられなかった。