不屈


中央アジア今昔映画祭にて観賞、2018年ウズベキスタン制作、ラシド・マリコフ脚本監督。ソ連アフガニスタンを侵攻した際に前線基地となったウズベキスタンの、アフガン帰還兵の物語。作中病院のシーンで視力検査表のうち一列がコリョマルというところにもソ連による抑圧のあとが。ちなみに作中の医師や公証人?など赴く先の専門家が全て女性なのは、男性が不足していたなどの理由があるのだろうか。

殺風景な住まいの朝、男は起き抜けに昨夜の何かを口にし外に出て犬に餌をやる、壁際に立っている「兵士」(後に誰だか分かる)に息子とはどうだと尋ねられ弁明の機会ももらえないと答える、このようなオープニングの映画は幾度も見たことがある、(『カーブルの孤児院』の前日譚である『狼と羊』を見た)前日には舞台が変われば物語が変わると考えたものだけど、世界のそこここに同じような物語があるのも事実だと思い直した。そうしたら犬の名前が「ランボー」。しかしあくまでも犬の名であって彼の名じゃない、ランボーにならない、なれない男の話であった。映画はカメラが引いていくことで男があまりに小さくなって終わる。

主人公サイデュラが公立小学校の教員となれば雇用形態が気になってしまう(あの年齢ならば「今」の日本なら4割の給料で勤めているわけだから)。一応「病気休暇」を取ることができるが、辞めると生活が立ち行かなくなるとの医者の言葉からして孫がいる歳でも生活のために働いているようだ。冒頭彼が登校した際に役人を追って出てきた校長の女性の、彼に気付いての足取りには二人が奥ゆかしくも憎からず思い合っている演出がなされており、後にそうと判明する。こんな枝葉は私にはじゃまに感じられたが、思い返せば、死んだ仲間の「ジーンズが似合う」(に違いない)妻の「英雄は死ぬ、なんであんたは帰ってきたの」には前線を知る者と知らぬ者の埋められない溝が表れており、サイデュラはそれを分かっているから好きな女性に心を開けないのかもしれないと考えた。