午後の五時


イスラーム映画祭にて観賞、2003年イラン=フランス製作、サミラ・アフマルバフ監督。タリバン政権が一時崩壊し映画製作が可能となったアフガニスタンを舞台に、現地の女性によって演じられる、混乱の中に生きる一人の若い女性の姿を描く。ラストカットにほんの一瞬、女達が家を捨てて旅立つのかと思ったんだけどそんなわけはなく、彼女達に行くところなどないのだった。

全女生徒が揃いの格好というのは私には恐ろしくも見えるが、ノクレ(アゲレ・レザイ)が一人制服姿でないのは厳格な父親に普通学校に通っていることを知られないため。何にでも歴史や文脈がある。女性教師が教師になりたい人、エンジニアになりたい人、大統領と問うたところで彼女ともう一人が立ち上がる。生徒達による女が大統領になれるか否かの議論や先生が「これが民主主義」と教える活動の様子などが面白い。下校後にノクレが「壊れた家なら」と案内するパキスタンから戻った大勢の人々や市の賑わいなど、おそらくそのままの当時が捉えられており迫力がある。

日に何度も繰り返されるぼろぼろの黒いペタ靴と鞄に隠し持つ白いハイヒールとの交換は、ノクレの暮らしそのものと言える。時には父と向かい合っていても足元が見えなければ履いたまま。少しでもやれそうなことはやってみるが、全て好きなようにできるまでにははるかに遠い。政治のせいでこんな目にと言いつつ政治のことなど考える余裕のない、あるいはその術もない人々の中、「ライバル」の少女も爆発事故で命を奪われ、生きるための水は気配がするばかりで見つからず、廃墟で自分を鳴らしてみても応える者はなく、やがてノクレはハイヒールを、希望を放ってしまう。

上へは神へ祈り、下へは藁を食べるばかりのお前には分かるまいと馬に愚痴るだけの父親はノクレや兄の妻には何も与えず、将来の象徴とも言える赤子は次第に死んでいく(とは瞬間動詞を使ってるのに変な文だけどそうとしか言いようがない)。それが今なお続いているようで何とも言えない気持ちになった。思えばそんなことが多い、日本でも。