ジャンヌ・モローの思春期


「フランス映画を作った女性監督たち 放浪と抵抗の軌跡」にて観賞。1979年ジャンヌ・モロー監督作品、12歳の少女マリーが祖母の住む田舎で過ごす第二次世界大戦直前のひと夏を描く。幾度か挿入される遠景が大変効果的、かつ私にはとても「フランス映画」らしく映った。

映画はパリ祭に始まり田舎の村祭りに終わる。マリーが窓から身を乗り出して隣家の友達と話しているうち、壁一枚隔てた部屋では父が母を跪かせて…少女がドアを開けると母親が口をゆすぐどころか歯を磨いているというオープニング。母親の、嫌がっているようには見えないが…という微妙なニュアンスが後に響いてくる。性的なことに興味津々のマリーだが実際のセックスとの間にはまだ隔たりがある(しかし身近にある)ことがこの一幕で分かる。田舎では夏の女友達と「今の私の胸、こんな!(友達、服を開いて見せる)毛は脇は生えてきた、下はまだだけど」「ママは下、もじゃもじゃ」「生理はほんとに面倒」なんてまず話す。自分も生理になると「これが50歳まであるの!」と祖母(シモーヌ・シニョレ)のベッドに突っ伏す。

一年ぶりに訪れたマリーを皆がきれいになった、きれいになるだろうと褒める。今の目で見たら極めて失礼だけど、ここには「外から見た自分」というものが認識できない、というかそういうものがあると分からない、ぴんとこない時期であるということが示されているように思われた(後に女の多くが思うことに、それでむしろいいわけだけども)。愛する人が出来た彼女は少年達にも評価の高い「貴族の脚」を見せに行くが、相手は大人なので通用しない。マリーと母親が並ぶ場面では同じ長さに色の髪や揃いの帽子で少女がやがて母親のような女になることが示唆されているが、「同じ」ならつまらないところ、皮肉にもラジオから流れるニュースやラストシーンで祖母が閉じる扉が世界は単なる繰り返しではないことを告げている。