「フランス映画を作った女性監督たち 放浪と抵抗の軌跡」にて観賞。1936年マリー・エプシュタイン、ジャン・ブノワ=レヴィ監督作品、グルノーブル大学で医学を学ぶ女子学生エレーヌ(原題「Hélène」)の数年間を描く。序盤のパーティの構図が見事で、このあたりから全体像が見えてくる。
エレーヌ(マドレーヌ・ルノー)のピエール(ジャン=ルイ・バロー)に対する仕草に、小説や少女漫画で読んでもきた、女の私が恋人の髪をくしゃっと掴む心地よい手触りを想像しながら見ていたら、映画は彼女が教授に手を頭に置かれるのに終わるのだった。冒頭「妻の分の切符」で落ち着いた客車内にて、教授が会話中に相手の目も見ないのは失礼だけど女としても見ていないということだから安心だな、しかし何が悲しくてそんな見方をしなきゃならないのかなどと思っていたら、最後には白衣で防御しても「君は女だから、君が必要だ」と言われてしまう。私には計り知れない悲劇に思われた。教授を、結婚相手を追って海外に行かせておけばよかった、「女がするように」。
中絶できない婦人科に孤児のための募金箱が置いてあるのを辛辣なジョークだと思っていたら、映画自体がそうだった。男女半々程でシスターも外国人も年嵩の人も在籍している大学の貧しくも明るく楽しい学生生活を描いておきながら、終盤には不景気ゆえ学士博士であっても仕事の口はないということが明かされる(私の世代としては身につまされるというか、懐かしいくらいのものだったけど!)。一方ではある人物の自死につきエレーヌが取り調べ?を受ける場面(判事の「妻子を持つつもりはないという男性と妊娠三か月の女性なら…」に対する「理屈はそうですが実際は違います」とは明快な名台詞)にもちょっとした冗談があり、全編通じて笑いと諦念、熱と乾いた空気に満ちている。ウィ、ウィ、ウィの彼女は社会の理不尽に削られても削られても生きていくであろうことが伝わってくる。