「フランス映画を作った女性監督たち 放浪と抵抗の軌跡」にて観賞。2014年セリーヌ・シアマ監督作品、パリ郊外に暮らすアフリカ系の16歳の少女の前進を描く。
「(成績が悪いのは)私のせいじゃありません」というマリエム(カリジャ・トゥーレ)の訴えに教師、いや画面の外の私達は「じゃあ何のせいなの」と返すが、彼女のせいではないと実のところ私達にはじゅうぶん分かっている。自分のせいじゃないのに未来の選択肢がない、それじゃあどうすればいいか、マリエムが迷いながらとにかく進み続ける話である。
切っ掛けは他の少女が呼び止める声だった。「キレてんの?それならここに座りなよ」。一旦は通り過ぎるマリエムだが、自分はいつもその影に、声に、立てる物音に怯えている男達がそちらへ近づくのを見て思わず振り返る、彼女らはどうするだろうと。何と立ち上がって向かっていって一緒に笑っているじゃないか。それを見て群れに混じる。ぐっすり眠れるようになる。
パリでのマリエムの体験は、彼女らに付いて回っているだけに見えてそれどころじゃない。「誰」であるかによって世界が変わると初めて知ったのである。それはおよそ属性で決まってしまうけれど、意志と言動と連帯で少しは変えられる。それからナイフ。その晩いつもの台所でナイフをポケットに入れ胸を張る。一歩踏み出した姿が神々しい。
しかしこの群れの、自分の位置にいた女は妊娠出産して抜けたのだと聞いてマリエルの心は曇る。その前に引き止められ遅刻した原因のベッドでの、瞳に光る涙の理由がここにある。倒した女の下着をナイフで切れば兄に認められゲームの相手にしてもらえる。男の格好をして女の子に声を掛ける嫌がらせを手伝えば支障なく過ごせる。しかし自分のための未来へ繋がっているだろうか?ラストシーンは私達への問いかけとも取れる。
オープニングのアメフトからの一幕は、女だけなら強く楽しくいられるのに男のほんの幾人かの影、大きくもない声がそれを脅かすということが分かりやすく描かれている。ぴちぴちした魚群のような彼女達の賑やかな話し声が前方に男を認めて止む瞬間の衝撃的かつ現実的なこと、あの描写の鮮やかさは「アンネ・フランクと旅する日記」の始まりと同じ類のものだった。