ロング,ロングバケーション




「その人、自殺したのよね?」
「そうね、理由は分からないけれど」


公開初日に観賞。エンドクレジットにイタリア人らしき名前がずらずら並んでいたので、パオロ・ヴィルズィが信頼できるスタッフを集めてアメリカでの撮影に臨んだことが推測される。彼は今後、こんな大きくはない映画を撮ることがあるんだろうか、撮るならそれが楽しみだと、ヘレン・ミレンのきれいな顔やのばした爪先に、そういう女性の役なのだと分かっていながらも違和感を覚えつつ見た。彼女が這うくだりにはぐっときた。


(以下「ネタバレ」あり)


「人間の値打ち」も「歓びのトスカーナ」も私には車の映画だったけれど、この映画における「車」(その名を「The Leisure Seeker(原題)」と言う)は、ドナルド・サザーランド演じる夫ジョンいわく「他の交通手段の方が快適だが、おんぼろのこの車だとよく眠れる」ものであり、ヘレン・ミレン演じる妻エラいわく「home」である。整備不良なのをだましだまし使い…つまり古くなった部分を変えることをせず、たまりにたまった「ズレ」でもって最後に自分を殺す。


娘のジェーン(ジャネル・モローニー)は両親が居なくなったことを知り(責めるではなく)「逃げた」と言うが、2016年の8月にトランプの宣伝カーと息子ウィル(クリスチャン・マッケイ)の仕事用のフォードがすれ違うオープニングと、ジョンとエラのお墓から上ったカメラが街を捉え再びタイトルが出るエンディングに、彼らは時代から逃げ切ったのかもしれないと思う。「レーガンに投票すると言ったら激怒された」とあるように、夫婦の支持政党、他、諸々はずっと違っていたわけだが、それでも支障無かったのが、時の流れと共に存在できなくなってしまった、とでもいうか。


「先生」の中には、よその子の面倒を見てうちの子の面倒が疎かになっているんじゃないかという思いに悩まされる人がいるようだけど(私の両親もそうだったと聞いているし知人にもいる)、この映画の描写に、まあ高校生はもう大人に近いけれど、そのことをふと思い出した。元高校教師のジョンは全くその逆で、妻が嫉妬しているのではと想像したことも無さそうだから。一緒に暮らしていると、お茶を淹れるとか、掃除をするとか、そういう方が先に立つもので、パートナーとしては、「先生」としての外面がいくらよくたってね、と思ってもおかしくない。


ジョンは「『on the road』に二人で戻ってこられて嬉しい」と言う。私はそのあたりのことをよく知らないし、それにしてはあまりよく思っていないから、それこそ作中のウエイトレスの「いえ、お話、すごく面白いです」「彼、いい人だし」という位の距離感でもって見ていた。文学者とはトラベルガイドにお墓が載っている有名人、程度の認識のエラにとってもジョンが愛する対象には距離があるが、夫が好きだから、ヘミングウェイの家に連れて行ってあげたいと思う。しかし着いてみればそこは思い描いていたのとはかけ離れており、やはり「ズレ」が彼女の肩にのしかかる。思えばこれはそんな話である。