ヒッチコック



ヒッチコックについては、作り物であれ「私」の部分に触れると作品を観るのが嫌になりそうで、この映画にも行くつもりは無かったけど、同居人が興味を持ってたので出掛けてみたら、楽しかった。何につけ軽いのがよかった。


エド・ゲイン(マイケル・ウィンコット)が兄を殺害するという「架空の」場面から始まるのにびっくり。そこへそっくりメイクのアンソニー・ホプキンスが「ヒッチコック劇場」よろしくティーカップ片手に登場、彼が居たから我々は「little movie」を作ることが出来たのです、とか何とか言う。これで本作の空気が分かり、気楽になる。もっとも「本編」中のエド・ゲインとの絡みは重たく邪魔だったけど。
原作はノンフィクション「アルフレッド・ヒッチコック&ザ・メイキング・オブ・サイコ」だそう。「映画もの」としては、「あの人」の椅子などのいわゆる小ネタは楽しかったけど、久々のラルフ・マッチオ!による「若き脚本家」のくだりはあれで終わり?入れないわけにもいかなかったの?というのを始め、盛り込みすぎで全てが浅薄な感じ。「この話を一流の監督が手掛けたらどうなるか」とヒッチコック自身が口にする場面があるのに、なるほどさすがと実感できる撮影シーンは無いように思われ残念だった。


冒頭、バスタブに浸かりながら「一週間前」の新聞記事に文句を付けるヒッチコックと、それに応じるミセス・ヒッチコックのアルマ(ヘレン・ミレン)。かなり時間を費やして描写される二人の会話は軽快で楽しく、丁々発止とも言える。しかし物語が進み彼らの関係が煮詰まっていくと、こうしたやりとりは無くなっていく。「悪夢」に飛び起きた夫に対し「撮影に入ってワンカットでも撮れば大丈夫よ」と言うと、実際その通りになる、なんていかにも「夫婦」で可笑しいといえば可笑しいけど、背中を向けたままの「分かってる」感は冷淡だ。しかし色々あって、結果、ラストシーンでは「洒落た会話」が復活する。この映画はそういう話だ。「色々」の部分が適当とはいえ楽しい。


白い下着姿で登場するヘレン・ミレンは、その後も水着になったりまた下着になったりと「露出」が多い。しかしラストシーンのワンピース姿はやけに落ち着いている。ずっと抱えていた不満を「女」であることで発散しようとしてたのが、霧消したってことなのかなと思った(私はそういうもんだと思わないけど、この映画はそういう意図を持ってるのかなと思った、という意味)
下着といえば、「サイコ」の冒頭の「ラブシーン」でジャネット・リーが着けてる印象的な白いブラジャー、本作でも勿論あの通り!と思ってたら、中盤スカーレット・ヨハンソン演じるジャネットの楽屋の場面でも手前に大きく映ってるのが嬉しい。


面白いのは「女同士」の場面。一番のお気に入りは、上記の楽屋にジャネットを訪ねたヴェラ・マイルズジェシカ・ビール)が「忠告」するところ。同じ立場の者同士のちょっとした友情が感じられる。穿った考えだけど、本作を観ると、ジャネットとヒッチコックの関係が良好だったのは、彼女の性分も勿論あるけど、ヒッチコックが「弱ってた」時期だからかな、と思ってしまう。ともかく、「関係」とは色んな条件で変わるものだ。
また、私は最も「人間が醜く見える」場所の一つは「女子トイレの洗面台」だと思うんだけど、本作でも、アルマが夫婦でジャネットを招いての夕食の席から逃げ込んだトイレにて、「あんな映画」と言われる、その女友達の、口紅を塗りながらゆがめる唇はとても下品に映った。後にトニ・コレット演じるアシスタントが同様のことを口にする時の、ぽかんと半開きの唇も心に残った。当時の女性の化粧って、私の目からすると唇が悪目立ちしがちだ。


ヒッチコックが自宅で愛でる女優の写真の数々、顔の判別が付かず、最後にアルマが指輪をそっと置く場面で初めて「ジャネット・リー」(スカーレット)だと分かった(他のも彼女のもの?)。スカーレットとジェシカを「知って」いても区別がやっと、という場面もあるほど、作中の「金髪女優」(写真などはモノクロだけど)は皆似通って見えた。ヒッチコックの映画ってそういうものか。


翌日、自宅で「サイコ」DVD特典のメイキング映像を見た。私の印象では、ジャネット・リーは、権力のある男性にとって御しやすいタイプ(平たく言うとあまりものを考えていなさそう)に思われた。映画内でスカーレットが演じた彼女は、上手く言えないけど、「素直」すぎて何の色(「色欲」の色じゃないよ)もない人間に感じられたものだけど。