友よ、さらばと言おう



アクションのいわゆる「デパート」という感じ、斜面を駆け下りるだけの場面でさえも迫力満点。しょぼい映画だとクライマックスのアクションでもあれに緊張感が及ばないからね。
車中の乱闘には、新世界やキャプテンアメリカのエレベーター、すなわち今の流行りを思い、事件の目撃には、「決着前に裏に来る奴なんていないと思いきや」というネタなわけだから、ヒッチコックなどを思う。ラストファイトはどう見ても西部劇。映画の歴史をいっぱい感じた。


宣伝には「『レオン』を超える」とあったけど、主人公シモン(ヴァンサン・ランドン)の息子テオについて、冒頭からなんてめんこい子だと思ってたので、殺人現場を目撃するシーンからは、彼をルーカス・ハースに重ねて大好きな「刑事ジョン・ブック 目撃者」を連想してた。でも設定が全然違う、どころかこちらはほぼアクションのみで紡がれる。ピーター・ウィアーは色々作る中の一つがあれ、フレッド・カヴァイエは(今んとこ)こういうのの専門家だものね。アクションのみで紡がれる本作は、「すべて息子のために」と分かっていても、なぜか息子そっちのけに感じてしまうあたり(笑)私は「目撃者」のような映画の方が好きだ。「殺人現場」は実際に見せて撮影したんだろうか?(ピーター・ウィアーが「子どもに残酷なシーンは見せない」というの、ずっと心に残ってるので)
息子役はマックス・ベセット・ドゥ・ マルグレーヴという名前で、「ベルサイユの子」で故ギョーム・ドパルデューが面倒を見るあの子だった。本作では実に達者な役者になっており、フランク(ジル・ルルーシュ)に勉強を教えてもらっている、というか「どっちが刑事だ」と言われるほど質問攻めにする時の表情には、異様な魅力に吸い込まれそうになった。作中この場面が一番印象的だった。もっともラストまで見ると、違う意味で、この場面を見返したくなるんだけど。


冒頭、シモンを職場に送って行くフランクは、前を走る車に苛々して「POLICE」のアレを出して追い抜く。「警官だったんだ〜」ということと共に、彼の「欠点」も分かる場面だ。同様にシモンの方にも様々な欠点がある。ついでに言うなら警察の仕事もずさんだ(笑)そんな彼らの「欠点」ゆえに「物語」が生まれているところが面白い。「メイン」キャストで「欠点」が無いのはフランクの元妻と息子のテオくらいか。
ともあれ同監督の一作目の主役であるヴァンサン・ランドンと、二作目の主役であるジル・ルルーシュの二人の個性に随分頼った映画だなと思った。それは悪いことじゃない、あるものは使わなきゃ。こういうシンプルな映画には、(カウリスマキ言うところの)「フィルムに愛されてる」役者が必要なのだ。
ただし、映画が観客に対して「多くをセリフで説明しない」ことと、作中の人物が別の人物に対して「説明しない」こととは違う問題だから。「そういう人」という描写としての意味はあるわけだけど、幾ら何でも「抜け」すぎじゃないかと思う部分は多々ある。


ところで、「ゴジラ」でも大勢の中で幼女だけが迫り来る津波に気付いていたけど(これは「ジョーズ」の踏襲?だけど)、本作でも事故のシーンにおいて子どもだけが危機に「気付く」。最後に判明する「真実」によると、これはシモンの想像内の出来事なんだけど、このような「描写」が映画によくあることには違いない。どういうことなのか、いつも不思議に思う。「普通」に考えたら、子どもは「目的性」が薄くきょろきょろしてるから。「映画的」には、子どもは「生」の逆の世界に大人より近いから?