ティエリー・トグルドーの憂鬱



公開二日目に観賞。とても堅牢な映画で、私は好きだなあ。


この映画の、ある程度の長さを持つ場面場面は、他人と何らかの場を共にすることで主人公ティエリー・トグルドー(ヴァンサン・ランドン)の心に起きる変化を描いているのだと分かってくる。オープニングタイトル後の家族での食事の一幕にそれが顕著で、始めの固い雰囲気が、息子の「なぞなぞ」で目に見えて緩んでいく。あれはあれだけの時間を掛けなければ描けない。後のやはり家族での一幕では、私にとってはまず「ダーティ・ダンシング」の曲である「Stay」が、この映画の曲になるまでの時間が取られている。そうしたことを証明するかのように、彼一人での場面は短く終わる。


と思いきや、ティエリー・トグルドーが職に就いたばかりの頃に「先輩」の若い女性が万引きをした若い男性に対して「『私達』としては」と口にしていたものだけど、それを横で聞いていたティエリー・トグルドーも「私達」の一員になったとおぼしき頃から、一つの場面の始めと終わりで彼の変化が見られなくなる。初老の万引き犯を捕まえての一幕や、教わった通りに幾多のモニターを監視する場面などに、彼の心の動きは見て取れない。そうしたことを証明するかのように、ここで挿入される家族での食事シーンは短い。


と思いきや、ある事件を機に、私にはティエリー・トグルドーの心が動いているんだか何だか、掴めなくなる。同僚の葬式、再びの「同僚の『犯罪』摘発」を経て、彼女に「あなたも上司に報告する?」と言われた彼が部屋を出て行く背中をカメラは追う。ラストシーンには「高慢と偏見」を思い出してしまった(あまりに唐突だけど、先日「高慢と偏見とゾンビ」の予告を見て思いを馳せていたところだからかな)。全くもって違う話だけど、持てるカードが限られている、まさか捨てるまいと思われている者が、それを切るところが描かれていたから。ただしそこで終わるこの物語に希望は無い。