Winter boy


運転する父親(クリストフ・オノレ監督演)との会話の最中「今より幸せになってほしい」と願い、帰宅して抱き合った母親(ジュリエット・ビノシュ)の耳元で「まだ若いんだからこれから」とささやく。17歳のリュカ(ポール・キルシェ)の、これは溢れんばかりの優しさなのか他者をコントロールできると思う傲慢さなのか考えながら見ていると、やがてそのありようがWinterboyなのでありこれはそこから一歩踏み出すまでの話なのだと分かってくる。カメラテストのように始まったリュカの語りが映画の終わりに母親に引き継がれ…明け渡され、彼以外の人々の視点に切り替わるところでそう確信した。

助手席で待っていると母親が運転席に乗り込んでくるオープニングを始め、「考えれば予兆だった」父親の車での一幕、その父の事故の知らせに実家に戻る道のりと序盤に車で移動する場面が多いのは、少年である彼には自分の意思で何もどうにもできないことを表しているようだ(大変辛い出来事である父親の自動車事故につき彼も映画も見ることが出来ないのもその裏返しである)。それがオープニングの時間に戻りあるやりとりの後あまりに急に母親に運転席に座らせられる、十分な過程を経もせず。その後彼は自分を傷つけてしまう。

リュカにとって家族とは特別な、いわば囲われた領域であることが、父の葬儀の晩に親族が政治談義をする場面に描かれている。葬儀に夫と私(父と母)の好きだった曲を流すのと「彼も好きだった」話題だと後で言いわけするのとは全く違う。リュカにしてみればその時には親族を強く批難した兄カンタン(バンサン・ラコスト)が普段はただの「親族」のようにふるまうのが理解できず許せない。映画の後半ではそんな彼が兄のパリの住まいに居候し世界を垣間見ることになる。「世界での自分の立ち位置が分かった(とは彼が「シロ」であることなどを言っているのだろう)、でもそれに何の意味がある?」とは彼が足を進める過程だ。兄にもそんな道のりがあったのだろうかと見終わってふと考えた。