リトル・ウィング


フィンランド映画祭 アンコール」にて観賞。2016年フィンランドデンマーク/セルマ・ヴィルフネン脚本監督。

序盤に置かれた学校で父の日のカードを書かされるくだりを、この映画は批判的には描かない。主人公ヴァルプがこっそり住所を調べて「本当の」父親にそれを送る姿をただ見せる。この社会のあれやこれやに女の子がどう対応しているかをまず示す。

乗馬クラブの女子達は、ヴァルプの母は自動車の免許をいつ取るのか、姿を見せない父はどうしているのかとしつこく聞いてくる。迎えにやってくる親が子を権威づけている。彼女はハウスキーパーとして働き一人で娘を育てる母を「翻訳の仕事をしている」、父親は役者だと返すが不審がる仲間の噂話は止まない。携帯電話も服も新調できない。そんな日々の中、彼女はこの社会において階級が上の者…すなわち「男性」と繋がれば内的にも外的にも色々なことが解決するのではと考える。

呼び出した男友達が車の中でそっと触れてきた手は確かに温かかったろう、人肌は誰のだって温かいものだ。しかし腿を這い上がってきたそれを払いのけると「これだから女は」との捨て台詞と共に仲は決裂する。そこでヴァルプは、「見返り」が無くとも自分を愛するに違いない男、「本当の」父親に会いに行く。彼が母親のボーイフレンドのように「ぶさいく」じゃなかったら、自分の価値が一気に上がるとでもいうように。その結果、彼女と大人の女達が巡ることになる道のりは厳しくも優しい。

これは、母親いわく「生まれた時から優しく賢かった」、まだ12歳の少女が最後にやっと、ずっと一緒だった、懸命に彼女を育ててきた母親に電話をし、本当のことを伝え、涙を流して助けを求めることができるようになるまでの物語である。子ども同士の間では、これまた本当のことを口にしてみると案外すんなりいく。ここでは毅然とした態度を取ることの大切さがきっちり描かれている。

見ながらふと、フィンランド、少女、馬というのと話の内容に昨年BS世界のドキュメンタリーで放送された「ホビーホース!ガールズ」(番組公式サイト内紹介ページ)を思い出し録画を再見したら、これはヴィルフネン監督が「リトル・ウィング」の前年に撮ったドキュメンタリーだった。日本で放送されたのは短縮版なので完全版が見てみたい。