MY (K)NIGHT マイ・ナイト


上映前の他の日本映画の予告で「ぼくには夢を見る資格なんてないから…」「ただの女子高生の私を…」と続けて聞いて、そうじゃないと訴えるための布石であろうと全くそういうのが嫌なんだよと思っていたら、この映画にも「ただのおばさんだから」「おれには資格がないから」なんてセリフが出てくる。他にもクリシェが山ほど、例えば「『水商売』の女の強さ」「踊る女を撮る男」「親子の絆は素晴らしいという価値観」など次から次へと出てくるが嫌な感じがしない。使い方、あるいはそれを凌駕するパワーによるんだろう(さすれば予告が流れた映画も見てみると印象が変わるのだろうか)。

「私はただのおばさん」と言う沙都子(安達祐実)の「夫が若い女性と浮気してるから私も若い人と、と思って」に刻(吉野北人)が「旦那さんの気持ちが分かった?」と返すのに随分あさってな返答だなと思いきや、彼女が「したいこと」とは彼、刻になることなのだった。うまく噛みあっている。ロマコメとは気の合う同士が運良く巡り合えたという話だと私は常々思っているんだけど、この映画こそ究極のそれである。TLでウォン・カーウァイの名前が引き合いに出されているのを見かけたけれど、まずは複数の組み合わせにそれを感じた(映像は、私はああいうの苦手)。誰もが丁度いい相手と一緒。

これ以上ない程の三組が、様々な「大丈夫」が飛び交うレストランから世界に出て行く。気が合うか否か、それが自身に何かをもたらすか否かは二人して外の世界と対峙した時に分かる。miyupo(夏子)がイチヤ(RIKU)の前に出て写真展のパーティで発言する場面など胸が熱くなった。灯(穂志もえか)と彼女の母親(坂井真紀)の関係について刹那(川村壱馬)が口にする「お母さんと仲いいね」「パンチあるね」なんてそれこそパンチのあるセリフも最高だ。そして、私も乗ってしまっているけれど、「つがう」ことはやはり不自然なねじれを生むから、それが「ゴール」じゃないのが自然で真摯だと思う。大切なのは「もっと楽しい人生が送れそうな気がする」ことなんだから。