だいじょうぶ3組



乙武洋匡が自身の教員経験をもとに執筆した小説の映画化。予告編から想像してたよりずっと面白かった。


咲き誇る桜、誰もいない「美しすぎる」学校、というオープニングには馴染めなかったけど、その後、乙武洋匡演じる赤尾先生と国分太一演じる白石先生が担任として5年3組で挨拶する場面にさっさと入るテンポは好み。皆の顔と名前を「暗記」している赤尾先生だが(後にその「裏」が分かる)、授業は最初からほとんど学級崩壊の体で、桜の下での学活風景にタイトルが出る時点では「だいじょうぶじゃないだろ」と心の中で突っ込みを入れていた。しかし子ども達は自浄作用があるかのように、勝手に「よく」なっていく。実際としても映画としても、そういうのもアリかなと思う。


赤尾先生は初対面の挨拶で「出来ないことがあったら助けて下さい」、学校を休んでいる子の家を訪ねて「今はどうすればいいか分からない」などと言う。子どもの上履きが無くなっても素朴に「とりあえず外履きでおいで、後で探そう」。著書が元なんだから当たり前だけど、このあたりの感覚は乙武洋匡の性分なんだろう。私自身もこういうタイプだけど、「先生」としてはプロとしてのハッタリ、噛ましが必要なこともある。大仰に言えばこの相克が、自分が教員をやめた理由とかぶる気がして、まず面白く観た。
本作のテーマは「成長」だけど、赤尾先生(と白石先生)は作中の一年で「成長」しただろうか?終業式の後の教室において「あれ」を見た彼の「ありがとう」、私はあのセリフこそ彼の実感、実りだと思った。子どもの方を向いてるばかりが教員じゃない。これもいいなと思った。


不満は色々ある。まず終業式の場面、あれはダメだろう!(「自主性のあるクラスになりました」ってそういうことか?)安藤玉恵の学年主任?や田口トモロヲの副校長は単にああいうキャラってことなのか、余貴美子による校長は一見「理想の管理職」だけど口当たりがいいだけじゃないか、大体、先生達と子ども達の間に大した関わりも無いのに「変化」するなんて現実味が無い。
しかし、「学校」や子ども達がそれなりに活き活き撮られてるのがいい。学校&学年目標だけが貼られた始業式からの展示物の変化。子ども達が帰った後の、夕陽に染まった教室の静けさ。順撮りであろう撮影による、夏休み後の皆の日焼けした顔。こういうのをスクリーンで見るのは楽しい。


何より良かったのは、広義での「アクション」。教室の場面でしつこいくらいクロースアップされる子ども達の「顔」は、私には「作られ」すぎ、お行儀良すぎでいまいちだったけど、外で見られる彼らの身体性は素晴らしい。運動会の競技(なぜか競技ばかりで「表現」は無し、手間が掛かるからかな)の俯瞰も良かったけど、最高だったのは、橋のたもとで集合した子ども達が自転車で帰っていく(一人ずつ分かれていく)場面。「いつも食べてるデブ」の家が「肉屋」というベタさには吹き出しちゃったけど、最後の「お店」には息を呑んだ。
赤尾先生は白石先生に「肉体のハンデ」について語るけど、乙武洋匡の、彼ならではの肉体の美しさもよく捉えられている。給食のカレーを食べるのに始まり、ビールを飲んだり、廊下や階段をするする進んだり、サッカーをしたり。文字を書く場面があるのもいい。また遠足のくだりでは、「不自由」であることの肉体性、とでもいうようなものが伝わってくる。乙武洋匡の演技は全篇に渡ってとても「自然」だったけど、この時の顔には特に見入ってしまった。


クラス内で特に「問題」を取り上げられる子は二人。一人目の「彼」の走る場面がスローモーションで、息遣いだけをBGMにドラマチックに撮られているのには違和感を覚えたけど、二人目の「彼女」の話になる頃には、本作の「主役」は子どもなんだと分かってたから、楽しめた。授業中の学校に一人で来る時の校庭、帰ってからの夕方の自室など、感じ入って見た。