オーケストラ・クラス



序盤にアーノルドが自分よりもバイオリンが上手いヤエルに頼んで弾き方を教えてもらう場面がある。ここに指を置いて、次はこっち、もう一回、という程度の教授だが、終了後に彼女は「笑っちゃう」と口にする。それまで二人きりになったこともないのが突然、という意味なんだろうけど、私にはものを教える、教えられることのいびつさが表れているような気がした。いびつで当たり前、そのことを忘れちゃいけないのだ、教員は。


まずは教育の場では生徒だけでなく教師の方こそが変わるということを描いている映画である。最適な者で構成されるプロミュージシャンの世界と、はみ出し者のためにある、いや「あろうとすべき」子どもの教育現場とは正反対だ。前者から後者にいわば突き落とされた形のシモン(カド・メラッド)は、一人の生徒につき「彼さえいなければ」と嘆いて担任教師のブラヒミ(サミール・ゲスミ)にそのことを教えられる。自分の仕事を「やりにくい」だなんて思いもしない彼は、私からしたら最近見た映画の中じゃ一番頼れる教師に思われた。


教師には教員としての能力と教授内容についての能力が必要だが、このクラスはシモンとブラヒミというどちらかしか持っていない二人がまさに両輪を担って進む(シモンの飲み込みが速すぎて違和感も覚えるが)。「生徒の気持ちを理解したい」と自分もバイオリンを手にしていたブラヒミが程無くやめてしまうのは、「子どもは飲み込みが早いが大人は…」という理由も確かにあろうが、教師と生徒を同時に行うのは無理だと分かったからにも見えた。とあることが原因で教室が破壊された際にすっと出ていくのは、現場のどうしようもなさをよく知っているからに思われた。


本作はフランスで実施されているプロジェクトに想を得ているそうだが、公立学校の選択科目を音楽かスポーツとし、オーケストラ・クラスではプロの音楽家をコーチに迎えて一つのパートのみを練習し、他の学校と合同で「オーケストラ」としてステージに立つというのが面白い(考えたらこの逆は、上流階級の私立学校で裏方も割り振る「スクール・オブ・ロック」かもしれない・笑)。本作ではバイオリンを取り上げているが、管楽器などと異なる形で子どもに寄り添い、持ち主の気配や気持ちのようなものを音としてアウトプットしてしまうという特性が活きている。


しかしこの映画で最も面白かったのは、移民の多い公立学校のクラスにおいて、相手の出自や「フランス語」を攻撃する(担任の先生に対しても)子ども達が、何かに一緒に取り組むようになれば、その部分はそのままでも笑い合えるようになる、大したことじゃないという姿勢。何だか新鮮で胸を打たれた。