イスラーム映画祭3にて子どもが主人公の二作を観賞。いわゆる名門学校の子が違う世界を知る、という点でも通じるところがあった。
▼「エクスキューズ・マイ・フレンチ」(2014年エジプト映画)は、「車二台分の学費」の私立学校に通っていた少年ハーニーが父親の死により地元カイロの公立学校へ転校することになる話。冒頭の、マルーン5やハリー・ポッターに親しみテニスに興じる彼の日々の描写は「彼はエジプトが大好き」と締められる。その「エジプト」って何だろうと思いながら見ていたのが、その「エジプト」って例えば彼が作るんだと分かってくる。
エンディングに流れる歌の字幕に「君の文字と僕の文字が並べば言葉ができ、行ができ、やがて文章になる」とあったけれど、もうすっかり出来上がっている文章の中に単身一文字で飛び込んだらどうなるか?という話である。母親に「短くしないで」と言われていた髪をばっさりやった後半のハーニーがデンゼル・ワシントンに見えてしょうがなかったのは、顔立ちが似ているからだけじゃなく、健気で忍耐強く意欲的な「お手本」的少年だからだろう。
それにしても分からないことが多々あった。例えばハーニーが仲良くしていた、「政府を信用している、政府に従うのが一番」の青年が公立学校の教員になり不可解な態度を取るようになるのはなぜなのか。公立学校の教員とはどのような人がなるものなのか。彼は教師に性暴力を振るった生徒に手を挙げたことでその兄に殴られ、結局は国を出ることを望むが、果たして出られただろうか。ハーニーの母親が「宗教的差別を受けた」と訴えようとしていたように、それには理由の申告が必要だが、彼は何と訴えたのか。またこの性暴力の描写につき、「訴えるなんてやりすぎ」とのセリフから問題があるということは伝わってくるが、現地の女性はどう見るのか。
▼「イクロ クルアーンと星空」(2017年インドネシア映画)は、ジャカルタの学校に通う少女アキラが天文学者の祖父に大望遠鏡で星を見せてもらおうと夏休みをバンドンで過ごす話。冒頭に描写される祖父の講義の、「昔の人は全てが地球の周りを回っていると思っていた」に始まりクルアーンに絡めた内容が面白く引き込まれた。科学、イスラム、それから映画が一体となっている。
(ところであのようにイスラムを絡めた講義内容って、アキラが通う学校や公立学校の授業でも行うことが出来るのか、かなり気になった)
冒頭アキラが「将来なりたい職業」について発表するシーンで、教室の前面にトロフィーが多々並べられていることから、アキラ、あるいは彼女が今いる環境は誰かに勝つ、誰かから褒美をもらうといったことを目的としているのではないかと推測される。終盤に再度出てくるトロフィーがほぼ背景として扱われていることから、彼女が何かをやること、そのものをするようになったのだと思う。映画はアキラが「ライバル」とハイファイブする姿に終わり、彼女がそうした精神を都会の学校に持ち帰った…伝播させたとでも言おうか…ことが分かる。
アキラが祖父母宅から通う、モスクでのクルアーン教室の様子が面白かった。先生が素晴らしく、彼女が話を聞かず宇宙ゲームに逃げていると分かるや「そうそう、宇宙と言えば…」と楽しげな話をして引き付けるのがいかにもプロ(笑)地べたに座った皆を子どもの側から捉える、低いポジションのカメラによる落ち着きの効果もあった(これは「エクスキューズ・マイ・フレンチ」の、子ども達の前に先生が入れ代わり立ち代わり現れる教室と正反対である)。終盤の、同様に低い視点で撮られる、祖父とファウジの父親の会話の最後のカットも印象的だった。