ファミリー・タイム


フィンランド映画祭にて観賞、2023年ティア・コウヴォ脚本監督作品。

上映前に流れたメッセージ映像での監督の「私が経験してきた実際を、映画にあまりない形で描いた」との言葉が次第に飲み込めてくる(女同士がおしゃべりするサウナシーンからしてまず見ないものね)。女だけが台所に立ち男はテレビを見て座っている冒頭にそういうところかなと思っていたら、ディナーではいわば家長である祖父の話を誰も聞かない。適当にあしらわれたあげく、翌日のディナーでは孫娘ヒラの「クリスマスにそんなに酔っているのは失礼だ」との意見に皆の手で寝室に運ばれ、空いたその席からの固定カメラの映像が続く。

この映画の面白いのは、一旦のちょっとしたクレジットのあとの皆のその後(少々長すぎ蛇足の感もあるが)。これはクリスマスにああしていた人々は普段はこうしている、いや違う、普段こうしている人々はクリスマスにはああしているという映画なのだと分かる。実家と異なり職場のミーティングの席ではヘレナの話に誰も興味を持たず、夫への文句を連ねていたスザンナは彼との対話を試みる。そして海の男でありアルコール依存症の祖父と彼と結婚した祖母の事情が私達に明かされる。同性愛という要素はまさに、隠さねばならなかったという理由でその時まで見えない。昼の光のもと雄大な自然をバックにマットレスを運ぶシーンにはそのちっぽけさに誰もがそうなのだと思う。

祖父と孫娘との間の最も遠い距離の線上に、多種多様な家族の襞がまとわりついているような映画に私には見えた。「おばあちゃんのことが好き?お金の無駄遣いばかりして(このセリフにスザンナの夫がクリスマスを一人で過ごす母親に電話口で言われる「小屋…じゃない、家だったわね」が蘇る)」などと祖父を非難するヒラの、彼の跡に座ってみるもスキップに映画が終わるのは、その事情(からの言動)が「大人になれば分かる」がまだ大人になっていないから分からないということなのか、大人になろうと分からないということなのか。私は後者だと思った。