ハッピー・ワーカー


フィンランド映画祭にて観賞、2022年ジョン・ウェブスター監督作品。

両親も自分もパートナーも皆(元)教員(とはいえ銀行員から転職した父親はそれこそ「燃え尽き」だったのかもしれない、50年前の話だけど)の自分は燃え尽き症候群の研究者クリスティーナ・マスラークいわくの「『誰が』ではなく『なぜ』」の内容を追いながらも視点は外からだったんだろう、『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』の著者デヴィッド・グレーバーのそもそも教育からして問題があるとの話でもってやっと内に入った。人は自身が作用を与え得ると実感した時に人間でいられるとは、どの類の教育にもあてはまる、常に頭に置いておかねばならないことだろう。

教員が「仕事の内容に無関心」でいるのは何というか不可能だが、事務職と教職には共通点もある。管理職なる立場に就くのは当初エンジニアが多かったため人間が数的存在とみなされるようになったというのは少し異なりそうだけど、管理職に就くのに管理職の資質は関係ないというにのは笑ってしまった。確かにそうだ、教員の世界では管理職になるのは「管理職になりたい人」だから(と私は思っている)。

経緯は分からないが作中では並行してグループワークが行われ、マスラークの「アンケートによると必要なのは『他者』」との説を裏付けるように、参加者は「茶番劇」である仕事の場から抜け出し本心を話し合うことで生まれ変われたと話す。中に韓国ルーツの人がおり韓国の町の映像も(ほぼ全員がマスクを着用しているので「コロナ禍」の記録でもある)多く使われている。普段はアルファベットで表記できるファーストネームを使用しているようだけど、エンドクレジットでは元々の名も併記されていたのがよかった。