ルーザーとしての私の最後の年


EUフィルムデーズのオンライン上映にて観賞、2018年スロヴェニア、ウルシャ・メナルト監督。不思議と引き込まれる一作だった。

舞台はスロヴェニアの観光地(と何度か言及されるので地元の人にはそういう意識が第一なんだろう)リュブリャナ。30手前の主人公シュペラは大学で美術史を学び卒業したが安定した職を求めつつも就くことは出来ず、ギャラリーで低賃金で働きながらプールでアルバイトをしている。始めは彼女、やがて周囲を通じて、現在ここは納得できる仕事をして賃金を得て生活するという普通のことがかなわない土地であると分かってくる。平熱に見えた彼女が実は闘っていたことも分かってくる。

クビを言い渡され給料が下がってもと食い下がると、高学歴ゆえ昇給しなければならないけれど出来ないから、などと規則を楯に断られる(これが言い訳でなく事実なのであろうことが悲劇だ)。面接先では資金難なのでしばらくただで働いてくれと言われる(どんな業種でもそれがまかり通っていることが後に判明する)。「必死に仕事を探している人より既に仕事を持っている人の方が雇われる」とは友人の弁で、日本でも昔から言われる「経験のある人ばかりを募っている」矛盾した状態だ。行き詰った身の上の人のために近所の16歳がアルバイト用の学生労働許可証を手配して稼いでいる始末。

外国で移民として働く苦労を想像もするシュペラは生まれ育った土地に留まるつもりでいるが、恋人は変わらない毎日に「くるいそう」になりサンフランシスコへ出てゆく。変わらなければと思う者とそうでない者との信条の違いはパートナーには元より大きなすれ違いだが、とりわけこんな状況下ではそれが致命傷になる。環境によって「もつ」カップルと「もたない」カップルの線引きは異なる。

いつまでも傍にいるはずだった恋人に甘えられるベッドから実家のリビングへ(プライバシーは風呂場で確保)、アルバイト先のパブの同僚も身を寄せる家へ、知り合った男性の家へ、シュペラは転々とする。近年見る「寝床を転々と変える女」の映画である。「実家があるからホームレスにはならない」とはいえ居場所はない。家を出る決意をするのが、母親の「私とお父さんが助けてあげられる間に移住しなかったのが残念だ」との言葉だったのが印象的だった。確かにそれを聞かない世界に行くしかない。