4人の小さな大人たち


フィンランド映画祭にて観賞、2023年セルマ・ヴィルフネン脚本監督作品(同映画祭で見た同監督の『リトル・ウィング』(2016)感想)。

「私たち平等党が最も重きを置くのは愛です」とユーリア(アルマ・ポウスティ)は党首選でアピールするが、この映画のテーマは愛の極限だと言える。冒頭に置かれた、絵に描いたような「夫婦の片方の『浮気』がばれた」くだりからの彼女の、あなたは全てを台無しにした、私の大事なものを奪った、これまでを返して欲しいとはまさにどうしようもない愛の叫びだし、夫マティアス(エーロ・ミロノフ)は「恋に落ちた」、その恋人ミスカは「あなたから離れられない」、更にはユーリアも新たな恋に落ちる。それら全てを潰さず生かし続けたらという話だ。

いざポリアモリーを実践してみると、体が一人一つしかないゆえの寂しさや嫉妬を皮切りに「本に書かれていない」事態が次から次へと起こる。ミスカの妊娠への対処を始め、あらゆる問題を二人どころか全員で話し合わねばならないという手間や、結局は既婚者、とりわけシスヘテロの男性が優位であるという構造が明らかになる(「日陰者」扱いというだけでなく育児休暇が申請できないなどの実際的な問題も浮上する)。ユーリアの恋人ミスカの部屋での食事シーンにはポリアモリーを実践する者は社会の中で闘う同志なのだと思わせられたが、あの場で不満を表明していた二人がそれをどう乗り越えたか描かれていないのは少々雑に感じられた。

ポリアモリーの話はまだ出ていない冒頭マティアスがミスカに「明日は息子のバイオリン教室があるから会えない」と謝る場面に、機会均等こそが何より大切なのだと思う。男だけが遅くまで外に出ているような社会では不公平さゆえあらゆる認め合いが不可能だ。ユーリアは夫の母親から、司教であるマティアスは上司からポリアモリーを「解決」するのが「大人になること」でありそうあれと諭されるが、これが前日見た『バブル』が「浮気」をしていた母親の「私たちも迷走中だから」にほぼ終わったのと繋がり、大人の何たるか、私達はそうでなければならないのかを描くのにセックスや恋愛が使われるのが重なるとは面白いなと考えた。