クロックウォッチャーズ/ザ・デッド・ガール

特集上映「サム・フリークス Vol.25」にてトニ・コレット二本立てを観賞。


▼『クロックウォッチャーズ』(1997年イギリス・アメリカ、ジル・スプレカー監督)はトニ・コレットが私達を見るラストカットが忘れ難い、今見るのに、いやいつ見るのにもぴったりな一作。自分で頑張れなんてくそ、社会が悪いと言っている。

「誰かの穴埋め」でやってきたアイリス(トニ・コレット)を社内ツアーに連れ出すのが同じ派遣社員のマーガレット(パーカー・ポージー)。一緒ならどこでもワンダーランド、といった感の彼女を始めアイリスを迎えた3人は当初めいめいの人生を謳歌しているように見える。役者を夢見る男好きのポーラ(リサ・クドロー)、婚約者との結婚を控えるジェーン(アラナ・ユーバック)。しかしそのうち全員がはみだしものであること、はみだしものは無視され連帯は破壊されるということが分かってくる。その一つの表出が「ストライキが潰される」ことというのは自明だが、それをこのように描いている映画は初めて見た。

アイリスらが職場で受ける指示は「高い紙を無駄にしないよう」「はんこを押す時は力を入れすぎず」「ホチキスの針は並行に」…前日にフィンランド映画祭で『ハッピー・ワーカー』(2022)を見たこともあり、「監視され判断され自分の無力を思い知らされる」この場はまさに(学校から続く)社会の縮図だという彼女のナレーションが心に染みた。機械的な時間が人間的な時間を浸食し、自宅でカップケーキを焼いて持っていき落とした分は「先に食べた」ことにする、そんな美しさも次第に潰されていく。

レインコートと揃いの傘を盗られたアイリスが雨天に別の傘を手に帰る場面には、既に切り分けられているパイばかりが分配されるような非情な世界が見えた。一寸先は闇だから疑心暗鬼になる。この映画では女達の不安が口元の描写に表れており、皆やたらと指を唇にあてたり物を咥えたりする。終盤アイリスにもそれが移るが、ある謎の答えがはっきりした暁には口紅にカーディガン、サングラスと今はいない仲間を背負って相手に臨む。しかしその後、自分が挑むべきは違うと知った彼女はまずother oneの名前を取り戻すのだった。


▼『クロックウォッチャーズ』で「便所飯」の最中にリサ・クドローの妊娠を知ったトニ・コレットが、同じように一人サンドイッチを食べている時に若い女ブリタニー・マーフィー)の死体を発見するのに始まるのが『ザ・デッド・ガール』(2006年アメリカ、カレン・モンクリーフ監督)。

「女が殺される」世界で生きる女達は生きながら死に近い存在である。ブリタニー・マーフィー演じるクリスタに髪をしゃぶる癖があることから、口ばかりいじっていた『クロックウォッチャーズ』の4人も死に(正規社員よりは!)近いと言えるだろう。

ケリー・ライカートの『ライフ・ゴーズ・オン 彼女たちの選択』(2016)は驚くほど素晴らしい作品だけど、見ている最中も見終わってからもリリー・グラッドストーンクリステン・スチュワートのパートばかりに心が囚われる。オムニバス映画にはどうしたってこのように突出した章がある。私にとって本作でのそれは最後の二編、いずれも女同士と未来への希望の存在が出てくる物語だ。映画のお話だけどあの子今幾つだろうか、元気だろうかと考えた。

最初の二人、トニ・コレットローズ・バーンのパートは私には望むセックスが初めて出来た女の話に思われた、尤もその望む形とは「女が殺される世界」で形成されたものだが。「男がベルトを外す音」にストレスを感じる私としては前者が男のベルトを自分でのろのろ抜くのが面白かった、あまり映画で(金銭が介在していない場面では)見ない描写だ。