アイリス・アプフェル! 94歳のニューヨーカー



素晴らしかった!全身で余すところなく味わった。


オープニング、アイリスが鏡の前で「(衣装を組み合わせるのは)ジャズの即興演奏みたいなもの」と言うが、この映画そのものがそれにも似た魅力にあふれている。カットごとに違う格好の彼女を眺めているだけでも楽しいし、加えてその楽しさは、アイリス(と、作り手である映画監督のアルバート・メイズルス)が素地を「持っている」からこそ。編集者のマーガレット・ラッセルが「アイリスはあらゆることの交差点に位置している」と述べていたのが印象的で、だからこのドキュメンタリーは、全方位に造詣の「浅い」私でも楽しめるのだ(勿論深ければもっと楽しめるだろう)彼女自身も「勉強したから私には歴史観がある、政治や科学や経済やファッションは全て繋がっている」と言い、「ヴィンテージのボタンを付け替えるだけのデザイナー」は歴史を学ぶべきと批判する。


服飾店の一角で行われているイベントでの、アイリスの来場者へのアドバイスの内容になるほどと思っていると、当時90歳だった彼女と同い年だというそのブランドは、彼女が創業者が居た当時に通っていたお店なのだ。冒頭に出てくる夫婦の写真に旅先のものが多い理由や、アイリスが買い物の度に値切る理由などが分かる過程が面白い。こんなふうに、私がドキュメンタリーを見る時に楽しみにしている「謎解き」が存分に味わえるのは、彼女に相当の奥行があるから。上手く言えないけど、この映画は例えば、素晴らしくそそられるケーキを見た後にその素材や作り方を教えてもらうようでもある。「40年代に、女で初めてジーンズを履いたのは私」という話も面白く、当時はジーンズは女性が履くものではなく、お店の人は「売ってくれなかった」が何度も通ってあきれられ、しまいには「自分用に特注してくれた」。アイリスがジーンズを履きたく思ったのは、ただ「ギンガムチェックのターバンに合わせたいと思ったから」だが、それだって、先述した奥行き、あるいはそれを持てる土台に支えられたセンスなのだ。


終盤には、アイリスが、いわば「世を去る前にしていること」が記録されている。オープニングタイトルは彼女の「最近の人は地味な格好ばかりしているから嫌い…まあいいけど」の後に出る、彼女を模したマネキンが並ぶショーウィンドーの前で立ち止まる人もいれば目もくれない人もいる、それは構わないけれど、アイリスは「業界人」(およびそれを目指す人)には辛辣、裏を返せば期待を寄せている。「学生は賢いけどものを知らない、ということを知った」からと、大学で「地味だけど内容がたっぷり」の講座を始める。また「人は何も所有できない、天から借りているだけ、それなら次の借り手を決めてから死んだ方がいい」という考えに基づく寄贈や売却も始めている。これ「だけ」だって、ものすごい労力を要する仕事のように見える。


映画の最後に初めて、アイリスの後ろからカメラが着いていくのがいい。彼女が入っていく部屋には、お揃いの赤いセーターを着た夫。そしてまだまだ楽しいエンドクレジット。最後の最後には、カメラを手から離し休んでいる監督と、彼にお茶を勧めるアイリスの姿。同じくらいの年恰好。監督は昨年亡くなったそうで、これが遺作。撮る側も撮られる側も90越え、少々通じるところがある者同士による(ということが伝わってくる)映画だったわけだ。