アメリカ文化の重要な一端を担う仕事、いや芸術を生み出したマリオン・ドハティの50年を中心に、キャスティング・ディレクターの何たるかと歴史を伝える2012年制作のドキュメンタリー。
ハリウッドではまだスターシステムがとられていた1950年代、テレビドラマを多く制作していたニューヨークでたまたま配役の仕事に就いたドハティが新たな価値観、文化を作り出していく。ドラマ二本を掛け持ちして脚本を理解しギャラに見合った的確な役者と交渉し現場に送り出すという超人的な仕事内容に驚かされる一方、「わくわくする」との本人の言葉には、今の私達がSNSなどでこういう映画に誰々が出たらいいなあ、なんてお喋りしてるのに通じるものを感じる。私はこういうことを考えるのが苦手だから、やはりまずは才能というのがあるんだと思う。
ドハティが立ち上げ若い女性達に仕事を伝授した会社の自由な空気に、「私ときどきレッサーパンダ」(2022)のメイキングドキュメンタリー「レッサーパンダを抱きしめて」の、リーダーが全員女性というクリエイティブチームを想起した。「男性監督のヴィジョンを女性が叶える、と言うのは冗談だけど…」との前置きで回想されるくらいなんだから女性ばかりなのは全く違う理由なんだとしても。何せ次から次へと有名監督が顔を出す本作に女性の監督は一人も登場しない(絶対数が違うんだからそりゃそうだろう)、役者だって男性に比べて僅か、そんな時代だったのだから。
この会社は「ニューヨーク映画」を作るのには欠かせなかったのだそうで、ドハティが初めて手掛けた長編映画だというジョージ・ロイ・ヒル「マリアンの友だち」(1964)が「勿論これもマリオンのおかげ」と紹介されるのが嬉しかった。ちなみにシシー・スペイセクやダイアン・キートン、クリストファー・ウォーケンなど「変わった役者」を擁する事務所も同じ建物にあったというのが面白い。
今年(2022年)3月開催のアカデミー賞授賞式における8部門の発表のテレビ中継省略が非難されたけれど、キャスティング・ディレクターはいまだ部門もない。本作ではその理由として「配役の仕事はdirectorではない」という全米監督協会会長(制作当時)の反対の声を大きく取り上げている。そもそもジョージ・ロイ・ヒル「スローターハウス5」(1972)まではCasting By(本作の原題)とのクレジットすら無く、1991年になされたドハティへの栄誉賞授与運動も実を結ばなかったのだそう。
やがてドハティはワーナーと契約を結ぶこととなり、「リーサル・ウェポン」(1987)…この辺りまでいくと私もほぼリアルタイムで見ている…が取り上げられ、冒頭のダニー・グローヴァーの「自分でも知らなかった素質を見抜いてくれた」との言葉と繋がる。リチャード・ドナーいわく「脚本には肌の色なんて書いていなかったのに、自分が偏見を持っていたことに気付かされた、彼女は二人が素晴らしいパートナーになると言った」。しかし90年代に入り映画が更に巨大な産業になるとまた「ハリウッドの悪癖」、若さと外見と「売れる」こと至上主義が台頭し、最終的にドハティは解雇される。物事が(金銭的に)大きくなると新しかったものが追い出される、例え受け手であってもそれに抗うのは大事だと思いを新たにした。