春江水暖 しゅんこうすいだん


祝いの席で母親が四人の息子に金を渡し、次いで孫達にというところで倒れてしまうのが幕開け。気付けばずっと金の話である。この映画ではその発端を、現在(2019年制作時)32歳だという教師のジャンが書いている小説の舞台である90年代…ということは四兄弟が若かった頃…に置いている。
ジャンは恋人グーシーの父親である四兄弟の長男になぜ都会から戻ってきたのかと問われ、物価が高くて生活できなかったからと話す(これには随分と真実味がある)が、グーシーには「富春江の渦」になぞらえて語る。彼女は「理由になっていない」と返すが、見終わって振り返るとむしろこれをわけにした方がしっくりくるように感じられる。

お金のために人が自分の家族のことしか考えないのは「仕方ない」とこの映画は語る(そのことを「問題」とはしない/その中には変化もある)。原語では分からないけれどその言葉を口にする三男には「母親に言われなければ川に投げ込んでいた」余命わずかと宣告されているダウン症の息子がいるが、自身には「何もない」と言う(その理由は血筋を繋ぐことができないからだろうか)。その彼こそが、姪のグーシーにしてみれば「一番情に厚い」ように見えることを考えると、やはり家族がいなくても暮らしていける世の中が理想だと思わざるを得ない。
「仕方ない」には「親に逆らって結婚するなんて考えられないけど、死ぬ時には悔いがないだろうね」という次男の嫁の言葉も含まれる。一見して役者ではない登場人物(実際殆どは監督の身内なんだそう)の中でも特にこの女性はあてがわれたセリフを口にしているようで、逆に奇妙なリアリティがある。

母親が三男の住まいを幾度も出て行ってしまうのはなぜだろう。映画の解釈は別として、私の祖父は晩年認知症だった頃、家をふらっと出て行き、見つけた時には、あそこを曲がると商店街があってその先にうちがあるから帰るんだと話したんだそう。ちなみに祖父の生家は富山の大きな薬局だった。私も歳を取ったらどこかに帰ろうと思うのだろうか、それとも思うことはないだろうか。