いろとりどりの親子



作家アンドリュー・ソロモンが10年かけて執筆した「Far From The Tree : Parents, Children and the Search for Identity」(日本では来年出版予定だそう)に基づきレイチェル・ドレッツィン監督が新たに探し取材した家族についてのドキュメンタリー。


ソロモンが「人々から聞いた話を書くことで僕は自由になれた、勇気も持てた」と語っていることから、彼が出演のみならず製作にも加わったこの映画はまず見た人もそうなることを願って作られていると分かる。「The apple doesn't fall far from the tree(りんごは木から遠いところに落ちない)」はずが、その他ならない親と子の距離について当事者達が語る。一つ特に距離の無い例があるが、見ているうちにそこには未来の距離についての希望があることが分かる(そしてこの例のみ特に、社会と彼らとの距離が表立って収められている)。


映画は母がダウン症の息子に「フィクションがフィクションのままだったらどうするの」と話しているのに始まる。母の知らないハリー・ベラフォンテの歌に親しんでいるその彼、ジェイソンのフィクションの捉え方がすごい。彼は「ずっと自分が世界の中心だったが(「アナと雪の女王」の)『Let It Go』で心を開かされた」、つまりフィクションにより自分は外へ出たのだと語る。「素晴らしき哉、人生!」を引いて「ダウン症でなければ今の全ては消え去る、だから今を受け入れている」と言う。エルサをサンタクロースになぞらえる母への「僕はサンタを信じている、やって来るのを胸で感じる」にはそんな感覚があるのかと衝撃を受けた。


この映画の全編に作り物についての意識が散りばめられているのは、その逆の現実が彼らにとって「普通の人」とは異なる意味を持つから。自閉症のジャックがタイピングで心の内を初めて伝えた時、母は「彼に初めて出会った」「You are real、と思った」のだそう。現在のジャックが仲間達とReal Boysと名乗っているのが出来すぎのように効いている。一方で低身長症の中年男性はワイルドの言葉を引いて「(同じ症状の仲間が集まる大会では)現実ではなく真の人生を感じられる」と言う。しかしソロモンがトルストイのあまりに有名な言葉を今はもう違うと否定するように、その言葉だって否定されていいのである。


そのためには誰にも出来ることがある。四日間掛けてジャックの声を聞かせてくれた「先生」の、両親いわく「トリックのような」「気の遠くなる作業」にはプロってすごいとつくづく思うが、その後のソロモンの、この40年の社会の変化により自分が自分を認められたという語りに、プロでなくてもやれることがあると思いを新たにできる。加えてお金の必要性も実感する。低身長症のロイーニの母親は「一人で仕事したり外出したりしたがっているけれど特別な車を買うお金がない」と言うが、他の例にせよどれだけお金が掛かっていることか。だからやっぱり、出せる人が出すか国が出すように働きかけるかしなくちゃいけない。