TITANE チタン


モーターショーのショーガールの中に、車に性欲を抱き誘惑しているダンサーがいたら?特にああした場の女性は社会によって男性に性欲を抱かれることで満たされるよう教育されているものだろうから、まさかのそんな存在は分かって見れば世界を揺るがす。前作「RAW 少女のめざめ」(2016)でこのような揺らぎを覚えたのは終盤だったから、これはあの映画の到達した地点から出発しているように私には思われた。

さて、車って妊娠させられるんだと思うわけだけど、ここで確かなのは私は妊娠する、車は私を妊娠させる、私は車とセックスしたい、私がまともにセックスできる相手は車だけ…「引っ張ったら痛い」「噛んだら痛い」とか、車には無いもんね…というもので、おそらく誰からも程遠いそれらがくっきり浮き上がっているから誰とも置き換え可能というか、ある意味では普遍的な話になり得るのかなと考えた。

映画は言葉を発しないアレクシアとそんな娘を持て余している父親の姿に始まる。後にヴァンサン(ヴァンサン・ランドン)は言葉で分かり合えないとみるや踊り出したものだけど。他者とコミュニケーションをしないアレクシア(長じてアガト・ルセル)が、自分のお腹には「やめて、お願いだから」「ごめんなさい」などと語りかけて意思を伝えようとするのは不思議だ。自身だからしてみるのだろうか、それとも何かが変わってきているのだろうか。

ヴァンサンの元から逃げようと乗ったバスでゲスい男達に絡まれている女性に暗に助けを求められたアレクシアは逃げ出す。その足で戻って初めて「パパ」と呼ぶのは、先の経験で自身の居場所が分かったからだろうか。「良心」に元の場所に戻れと言われても、もう戻らない。

セリーヌ・シアマ「ガールフッド」(2014)の主人公がテープで胸を抑えて「男」の格好をするのは、ギャングの中では「女」だと面倒だからという理由であった。一方本作のアレクシアがそうするのは単に「男」のふりをするためで、理由は「男性の(女性を抑圧する)問題」にない。しかし妊娠によってどんどん腹は膨れ上がり、胸からも何かしら迸り、四六時中それを抑えつける苦しさは尋常でない(と伝わってくる)。これは普遍的な話であることと引き換えの底なしの深さのようにも思われた。