希望の灯り


映画の始め、スーパーマーケットで働く者達のリーダーであるルディは新人クリスティアン(フランツ・ロゴフスキ)を「気楽な仕事だ」と迎え「神聖な職場だ」と共に店へ出る。どういうことだろうと思いながら見ていると、年長者達は禁煙の店内でタバコを吸い食べてはいけない廃棄物を「おやつ」にしている。一致団結して作り上げた気楽な空気に彼を呼び込んでいるようにも見える。では神聖とは何か。映画の終わり、クリスティアンはルディに「君は一人前だ、それが上からの伝言だ/上で書類を作れ」と言い渡される。作中一切映らない「上」が神聖の出処かもしれないと考えた。
中盤、クリスティアンを指導するブルーノの「かつてここは運送人民公社だった、俺やルディはそこで働いていた、再統合で買収されここで働くようになった、昔はよかった」というセリフからこの地が旧東ドイツだと分かる。「気楽」とは勝者の元で何とか勝ち取っているもの、「神聖」とは形は失われても守られているものに思われた。

話が進むにつれ、体中のタトゥーを隠すように毎朝上っ張りをぴしっと伸ばすクリスティアンがスーパーマーケットを自分の新たな世界と決め、そこで生まれ変わろうとしていることが分かってくる。かつての仲間の顔を見ての第一声は「なぜ入(はい)れた?」。彼らは自分達を拒否した彼の世界を汚して去る。
「(家に)寝に帰る」とは普通あまりいい意味合いを持たないが、働き始めのクリスティアンが帰路に着く同僚達の姿に思う「僕らは明日再び家に集まるために眠りにつくようだった」にはネガティブな匂いがない。スーパーマーケットを「家」、実際の家を単なる寝床にしている彼に悲惨さはない。第一に自らの意思で選んだことだから、第二に「家族」が温かいから。

冒頭はスーパーマーケットがクリスティアンの全世界である。ここには「海」も「シベリア」もある。マリオン(サンドラ・フラー)とコーヒーを飲む自販機は街角のカフェといったところか。この映画は冒頭を除き「クリスティアン」「マリオン」「ブルーノ」の三章に分かれているが、その意味するところは「クリスティアンクリスティアンの世界を生きる」「クリスティアンがマリオンの世界を訪ねる」「クリスティアンがブルーノの世界に招かれる」である。「新人」は自分で獲得した世界を徐々に広げていく。マリオンの家を訪ねた後には眼前の金網が消え、ブルーノの家に招かれた後には店内の客、同じ空間に存在しながらこれまでは平行世界に居るようなものだった他者に挨拶をする。
ブルーノは失われたもの、いわば世界に空いた穴から逃れることが出来なかったが、彼の気概を受け継いだクリスティアンは世界を作る中途にある。彼とマリオンが海を臨むラストシーンには彼らのというより作り手の、未来に向かう若さがあふれているように感じられた。