スープとイデオロギー


同じ週末に公開された二本のドキュメンタリー「FLEE フリー」(感想)と本作には通じるところが幾つもあるが、まずはサバイバーが数十年後に映画作りを経てある境地に達するまでを記録している点が挙げられる。あちらではそれが映画の終わりに私達の眼前に意味も明確に示されるのに対し、こちらの場合は見終えても私には何も断言できず、一人の人間いや一つの家族の姿をただ心に焼き付けるのみだけども。
オープニング、済州島4・3事件の際に伯父が銃床で後頭部を殴られ死んだのを見たと病床で語るオモニは娘であるヤン・ヨンヒ監督の「こんなふうに話すようになって毎日悪夢を見てるんじゃない?」との問いにそうでもないというような答えを返す…思い出して語ることについては否定的な感情を表さない。朝鮮籍の在日同胞にも韓国入国が許可されそうだとの話に「(4・3事件の70周年追悼式に)絶対行く」と呟くその心情がどんなものか私には分からない(ところであの会場には彼女や娘のように南の国歌を歌えない人が他にもいたのだろうか?)。

これは映画の作り手である娘が母の記憶を受け継ぎそれに心を沿わせるに至るまでの物語でもある。娘が元より知っている(その作品によって私達も心得ている)母の背景はこうである。「北か南かどちらにつくかを常に問われる」大阪市生野区に生まれ育ち、朝鮮総連の活動家になった夫を支え帰国事業で息子三人を北へやるが、うち将軍様への「人間プレゼント」として強制的に送られた長兄は病んで死ぬ。そうした中で今に至るまで借金しても北に暮らす一族へ仕送りを続けている。そんな彼女とそれに意見する娘の揉める様子が挿入される。
当初オモニが北の将軍様を称える歌を歌う姿にはこちらも戸惑いや混乱といった恐らく監督が感じているのに近い感情を抱くが、彼女が体験した4・3事件を知った終盤には同じ姿にやはり監督と同じように涙がこぼれる。アルツハイマーの進行と共に北に送った家族と一緒に暮らしているように思い込むのはなぜなのか、それもやはり私には窺い知れない。

話の転換となるのが暑い夏の日に着慣れぬスーツ姿でやってくるカオルさんのカット。「(恋も結婚も)アメリカ人と日本人は絶対ダメ」と言われていた家で歓迎された日本人の彼は「不在の家族の写真に囲まれて暮らすオモニを痛ましく思った、これからは三人で写真をたくさん撮ろう」と言うのだった。冒頭監督一人での帰省から戻る際の車窓風景には東海道新幹線沿いの家から上京した者として「やれやれ帰ってきたぞ」と思わず口をついて出そうになり、新しいメンバーが加わることで家族関係が変化し帰省の意味が変わってくるのにも、事情が大いに異なるので比べるのは申し訳ないけれど、自分もパートナーがいるから円滑に実家に帰ることが出来ているので共感を覚えながら見た。
同時に監督の帰っている大阪はアジアの歴史において大きな意味を持つ土地なのだということも分かってくる。平和記念館のオフィスでのやりとりから大阪の朝鮮総連には母と同じような人も多いことが、墓地を訪れた際のやりとりから4・3事件の遺族が家族を犠牲者として申請しない場合があることが分かる。映画に収められたセリフ等から見えてくる周辺の人々の姿からは、世界中の家族の分だけ家族の歴史があること、その総体として忘れちゃならない大きな歴史があることが伝わってくる。