東京国際映画祭にて観賞、2019年/イギリス/グリンダ・チャーダ監督。1987年のロンドン郊外、ルートンを舞台に、ブルース・スプリングスティーンの音楽に出会って変わってゆくパキスタン系青年の姿を描く。
主人公ジャベド(ヴィヴェイク・カルラ)が高校の放送室へ「ボスの曲をかけてくれ」と頼みに行った際の「親が聞く(ような古い)音楽だ」「うちの親は聞いてない」(…から、シーク教の友人の家庭もそうであろうことに気付かされる)。家で父親に叱られる際の「彼がお前のために歌ってると思うのか」「ぼくに話しかけてる」。まずはそういう話である。
エリザ(ネル・ウィリアムズ)との初デートの際にジャベドは「白人は家から出るけどぼくらは逆なんだ、家族のために生きるんだ」と言うが、一家は本当に「うち」に住んでいる。父親いわく「目立っちゃだめだ」、親戚宅では玄関におしっこされるからとビニールを敷き黙って始末している。周りとは違うレイヤーに生きているようだ。悲しくなったのはエリザの母親が口にする「娘は挑発的な人ばかり連れてくる」。自分の心の揺れを相手のせいにするなんて、昔からずーっと、どこにもあることじゃないか。
グリンダ・チャーダは、ともすれば呑気に見えてもきびしいところはきちんときびしいという作家で、例えば「英国総督 最後の家」は「インド人はイギリス人をずっと憎んでも構わない」という話だったものだけど、その視点はここでは隣人の「クズはクズだと言い続けることが必要」に表れているように思われた。この映画は実は始めからずっと、最後の「朗読」でジャベドが言う「ぼくたちは一人じゃない」という話でもあるが、そこにはちゃんと楔があるというわけだ。
ポップミュージックには詩、いや言葉という要素がある、これって案外映画では描かれていないことだ。本作は物書きの話でもある。ジャベドに自分のことを書き続けるよう背を押すミス・クレイ(ヘイリー・アトウェル)が国語の授業の初回でサッチャーの批判をすると、エリザが面白そうだと身を乗り出してくるのがいい。ミス・クレイの「この町の悪口ならわたしも負けない」なり校長先生の差配なりティファニーへの一言なり、先生達もチャーミング(笑)
エンドクレジットでブルース・スプリングスティーンの後に「英国総督 最後の家」に続いてインドのA・R・ラフマーンの曲が流れることや、作中ジャベドの両親がバングルを売って娘の結婚費用を捻出する場面で父親がいつも聞いているような曲が丸々一節流れることからは、チャーダのルーツに対する意識が窺える。ちなみに息子は家を出る際、ブルースのグッズを売ったお金でバングルを買い戻し、母親に渡すのだった。