グレタ GRETA


予告には全くもってそそられなかったけれど、見てみたら、流麗、寂しいけれどしなやか、音楽はベタながらわざとらしくなく品があるといういつものニール・ジョーダン映画だった。エンドクレジットによると撮影はアイルランドとカナダとアメリカで行われたそう。スティーヴン・レイがやっぱりそういう…という役を楽しげに演じている(笑・スーツがよれてるのや階段を上る何てことないシーンがいい)

「私はアメリカ国民」と言ってのける(しかし「記録によると帰国している」)グレタ(イザベル・ユペール)は、縁があると見せているフランスとは特に繋がりのないハンガリー人ということで、ニューヨークではいわば二重の、あるいは強みを持とうと二重であることを選んでいるマイノリティである。面白いのは彼女が単なるきちがいだということ。マジョリティのきちがいは映画に幾らも居れどマイノリティのきちがいって案外見ないから、これも「普通」の広がりのように感じられて嬉しい。

フランシス(クロエ・グレース・モレッツ)は、地下鉄から持ち帰った巨大な、いや奇妙に大きく見えるハンドバッグ(この映画はこういう画の数々が面白い)について、同居しているエリカ(マイカ・モンロー)と「地元のボストンなら皆が持ち主に届ける」「マンハッタンじゃ爆弾処理班を呼ぶんだよ」と会話を交わす。大学卒業を機に親にマンションを買ってもらったというエリカはまさにニューヨークの人間。冒頭の彼女の露出の高い服装は、自らを覆っているグレタのそれとは対照的に(年齢によるものではないように)思われた。

グレタに付きまとわれるフランシスは、エリカの「目を見て嘘を言うの、私は得意だからやり方を教えてあげる」とのアドバイスを聞き入れて実行し、ますます窮地に陥る。これがエリカなら上手くいったのだろうかと考えると、バッグを届けることなどしない彼女はそういう状況にならないわけで、ここにある種の現実を見て寂しく恐ろしくなる。これはマイノリティが罠を仕掛けて自らの「箱」に獲物を誘い込む話だと言えるが、結局のところ、被害者となるのもマイノリティなのだ。とはいえ本作には監督らしいどこか明るい希望の空気が感じられ、見終わって暗い気持ちにはならない。