英国総督 最後の家



監督がグリンダ・チャーダであることから予想はしていたけれど、「歴史は勝者によって語られる」の後に勿体ぶらずすぐさま「Viceroy's House」と原題が出て始まるこの映画は、インドの分離独立をこれまでとは違う視点で捉えた物語であり、例え誠実なイギリス人が「君の苦しみを忘れない」と言い実際にそうしようともインド人は「罪の意識に一生苦しめ」と言わざるを得ないという話であった。


参謀長官イズメイ(マイケル・ガンボン)の「インド人達が自分の意志でそうしたと思うことが大切なのだ、ディッキー(ルイス・マウントバッテン総督/ヒュー・ボネヴィル)には魅力があるから彼らも懐き、上手くいく」に引っ掛かっていたら、これは総督とその家族が誠実さや思いやりや熱意を利用されるという話であった。彼らはイギリスやチャーチルの汚くてしょうがない部分を知らなすぎたというわけだ。


使用人ジート(マニシュ・ダヤル)に「君も私と同じ新人」などと言葉を掛けシェフや賓客の半分をインド人とし現地の人々と善い関係を築くあたりでは想像がつくまいが、この映画は「力ある者がない者に対して優しくする」のを見る快感には決して溺れさせない。「ガンジーを半裸の物乞いと呼んだ」チャーチルの時代は終わり私達は未来へと向かうのだと夫婦で話す機内から、いつの間にかチャーチルの下僕に至っているのだから恐ろしい。しかし物語はマウントバッテンも優しさを持って描いている。ジリアン・アンダーソン演じる妻エドウィナの「あなたは悪くない」は重い。加えて振り返れば「あなたはあせるからチェスが下手なのだ」こそ当たっていたと言える。


ヒンドゥー教徒ジートとムスリムのアーリア(フマー・クレイシー)のメロドラマめいた恋物語は不要にも見えるが、私は二人が抱き合うあのラストシーンこそが、これがインド人の映画であることの表れだと思った(それに反してジートとディッキーの和解は無い)。ガンジーが「愛を信じさえすれば」と言っていた、その証でもあるような輪をはめた腕で愛する人をかき抱く。ジートがアーリアに何度も言う「君は勇敢だ、勇気を出すんだ」は、彼がそんなことを言えるはずもない、総督に向けての言葉にも思われた。


「不幸にも父が失明したので働いているけれど、そのおかげで自立できて嬉しい」と話すアーリアに「母も言っていた、戦争が始まって仕事するようになり自分を知ったって」と返す総督の娘パメラとのやりとりに、国の独立とはまた違う、非常時ゆえの女の自立の事情も垣間見える。ジンナーの取材に女性記者(カメラマン?)の姿がワンカット大写しになるのも印象的だったけれど、あのような人が実在したのだろうか。