チェイス!



公開初日、角川シネマ新宿にて観賞。
昨年公開され、インド映画の歴代最高興行成績を記録したという作品。全編シカゴロケ、サーカス団を率いるマジシャンにして銀行強盗という主人公を演じるのはアーミル・カーン
こんなこと思ったの初めてなんだけど、特に冒頭30分、スクリーンを写真にばしばし撮って、皆にこんなもの見たよ!と言って回りたくなるような、そんな映画だった(写真じゃ全然伝わらないけど/30分以降も楽しかったけど・笑)子と父の回想に始まり、予告編でも見せているビルからの滑降、捕り物、タイトル、さてどんな話かと思いきや、ここでダンスが入る!この時点でお腹いっぱいだけど、とある場面の主人公同様、目が離せない。


上映前に流れた「実在するオリンピック選手の半生を描く」インド映画「ミルカ」の予告編の中に、(恐らくインドとパキスタンの対立により)追手から逃げる子どものカットがあった。そして彼は陸上選手となる。本作の主人公も、シカゴの少年達の暴行から逃れるために「不可能を可能にする」マジシャンとなる。父親のセリフから、彼らはアメリカでは「難破船」だからマジシャンになるのだと受け取れる。迫害から逃れるための努力の結果、超人的な力を得るというのは「インド」らしい筋なのだろうか?…などと考えながら見ていると、中盤に挿入される再びの「回想」により、物語はぐんと広がる。これが見事だった。
お国柄といえば、シカゴにやってきたインド人刑事のうち一人が「美女」の登場に想像する内容が「インド映画」のパロディとして描かれるのに、そういや今年は韓国映画もコレをやってたな、日本でやるとしたらどういうふうになるだろう、外国の人が見ても「分かる」類のものはあるかな、などと考えた。


銀行強盗の度に繰り広げられる「チェイス」がすごい。生まれてこのかた見た映画の中で、今日のところはこれが一番!と言えるほど。私は映画のチェイスシーンにさほど興味が無いので、「それなのに(面白いと感じる)」のか「それゆえに(面白いと感じる)」のか分からず、他の人の意見を聞いてみたいところ。でもってそんなに面白いのに、何がどうすごいのか説明できない。中盤とある「大ネタ」が明らかにされることにより、その後のチェイスシーンにおける他の類の「ありえない!」が気にならなくなるという、目くらましとも言えるやり方も効いていると思う。
派手な効果で始まる捕り物は、街を舞台としたマジックだ。通行人が「観客」となり(実際鈴なりで見ている人々が映る場面も)、舞台と違い演者にとっての「ハプニング」でも楽しませてくれる。こうしたマジックが合わさって、一本の「映画」というマジックとなる。そしてそうした広義のマジックの中では、狭義のマジック(この映画で言えば肝心のサーカスの場面)は私にはなぜかつまらなく感じられる。


私が「インド映画」を苦手なのは、これまで見た作品における「男女」の描き方が嫌だったからだけど、この映画にはあまり感じず…というのは少しは感じたわけで、ハリウッド映画じゃもう見ない「人格のない美女」(そんな些細なことと言われるかもしれないけど男版にはお目に掛かったことが無い)や、地元の「美女」刑事の、「美」と「人格」への重きの置き方の差などひどいものだ。
ヒロインが全然話に絡んでこないので、サーカスに出て「キレイ」なところを見せることしか求められないのか(とはいえそこで演者に求められている、努力による技術は物凄いものだけど!)と思いきや、実はそこに「意味」がある(「主人公」が諸々の理由により彼女から距離を置いている)というのは、たまたまとも言えるけど、うまく出来ている。作中初めて大観衆が映り、彼が彼女の手を取りそっと前に押し出す、彼女も彼を前に誘う、その様子にぐっときた。


それにしても、本作しかり、これまで見たインド映画において一度も男の人にときめいたことがないのは大きな問題だ(笑)だって日本で見られるインド映画は、大体「娯楽」ものだし、大体長丁場だから、耐えられない。
インドの人達や私以外の世界中の人達には、「インド映画」に出てくる男性がかっこよく見えるのかもしれないけど、私には、男より女の方にずっと性的魅力の比重が置かれているような(もしくは「何を性的魅力とするか」が男女で随分違うような)気がして、そこのところが受け入れられない。そもそも男女が分断されて提供されるのに馴染めない。でも本作の冒頭のタップダンスなど、まさに「プロが(男女問わず)入り乱れてる」感じでとても好みだった。今年見た幾つかのインド絡みの映画にはどれもこれまでと違う要素があったから、来年も新しい映画を楽しみにしてる。