ボンジュール、アン



公開初日に観賞。お昼にバゲットに板チョコを挟んで食べたところだったから、作中のダイアン・レインがガソリンスタンドで板チョコを一枚買うのが嬉しかった(笑)見終わると、キーワードは「ホメオパシー」のようにも思われた。


オープニングは豊かな髪と白いブラウス(ナンシー・マイヤーズもの然り、そりゃそうだよね!/衣装はミレーナ・カノネロ)のアン(ダイアン・レイン)が海を臨む後ろ姿。夫マイケル(アレック・ボールドウィン)の電話のやりとりで映画祭中のカンヌだと分かり、「Paris Can Wait」とのタイトルに原題との違いにびっくりする。やがてアンが夫と別路でパリに向かうことになり、ああ「パリに着けないアメリカ人」の話なのかと思う、いわば「ネタバレ」されながら見るのが楽しい(そして、細かな点で、思った通りにはいかない映画である、これは)


プロデューサーのマイケルが「classicalでcommercialな映画に金は出ない」と言うと、ジャック(アルノー・ビアール)は「そういう映画、いいねえ」と返すが、まずは「そういう映画」である。物語は通俗的、主人公も古風、フランス男はステレオタイプ。ただし感情の揺れという、私が見たいものがあった。ダイアンが美女すぎて始め話が頭に入ってこないのが(笑)次第にそうじゃなくなってくる。画面もとてもクラシックで、冒頭のホテルでの夕食の場面なんてどう見ても70年代、いや60年代の映画。普段ならだからどうしたって感じだけど、この映画ではそれがとても美しく、溜め息が出た。しかしそのこともダイアンの美貌と同じく、次第にお話に埋没していく。


登場時、アンがこちらに背を向けて何をしているのか分からず(そのように撮られている)、「普通」ならタバコだけど違うようだと思っていると、SNSにあげるわけでもない写真をことあるごとに撮っているのだった。作中に挿入される「写真」の数々が素朴ながらも面白く、例えば多忙な夫は寝顔ばかりだが、ジャックはこんなのはどう?とワイングラスの向こうで顔を作ってくれる。この写真が実によくって、小声が出てしまった。しかしもっと、いや作中一番素晴らしかったのは、ジャックが「君は美しい」とアンを捉えた一枚で、そこには映画の魔法はなく年相応の美女がただ写っており、突如現実に引き戻され、その現実がとても素晴らしいものに思われた。


フランス男が「女好きで美食家でタバコを吸う」ならフランス女も同様で、「彼との旅はいいわよ」と、美味しいんだから食べなさいよ!と勧めてくる。このことと関係あるのか無いのか、次第にアンの表情は複雑になっていく。「マグダラのマリア」のやりとり辺りでふと気付いたことに、これはやはり、夫の仕事でカンヌに来た女が他の男の車でパリに向かう話なんである。私は子どもの頃テレビで「キャノンボール2」を見た時から運転は自分でするに限ると思っているから、車を乗り継いでどうするんだと少々釈然としなかった。アンが最後に髪をまとめるのが、でもって「食べる」のが、アクセルの小さな踏み込みなのかもしれないけど。