甘き人生



ベロッキオの映画は素晴らしいけれど、今回は題材が見辛かった。決して来ない明日に憑りつかれたおじさんに若い美女達がやたら優しいって話だもん(笑)


しかつめらしい顔の少年を、音楽と女の手が誘うオープニング。引き寄せた母よりもそのうち息子の方が動きが止まらなくなる。あるいは夜中のテレビから流れる怖い映画。思わず息子を抱き寄せた母の方が、次第に息子の怖がる様子に楽しげになる。体と体が触れたところから伝わる、まさに伝播ということを思う。対して父が息子の体を扱うそのやり方は、力任せにすぎる。


マッシモ(バレリオ・マスタンドレア)は、母の代わりを他の女、あるいは他人の母に(「ベリッシモ!」なお屋敷に暮らすこの女性のワンピースがとても素敵で、欲しかった)求めた後で、まるでどこかから見られてでもいるかのように、クッションで自分の体を隠す。その「肉体性」は、富豪が「10億よりも手で触ることができて、匂いがして、菌を持った札こそがお金」と言うのにも似ている。


マッシモの文章を読んだ息子の向かいで「抱き締めてみる?」とのたまう老母、パーティの途中にわさわさの髪で彼の、私の視界をも全て遮る中年女(昔の山岸凉子の絵を思い出した)、夜中の二時に呼び出されて黙ってマッシモを見上げる叔母、主人公にとって母でも女でも(それはほぼ同義である)ない女達の姿が素晴らしかった。


何と言うのだろう、例えばフラッシュフォワードって私は何が面白いのかよく分からないんだけど、それとは全然違うんだけど、後でああ!と言わされるベロッキオのやり方はやはりすごい。一番痺れたのは「何も知らない奴が書く方がいいんだ」、そうなのだ、きっとあの記事も…という因果。