一度だけ遭遇した予告編に惹かれて、公開初日に観賞。想像していなかった類の面白さがあった。終着駅より向こうには行かずに済んだ、折り返して再出発することが出来た、「優しい」男の物語だった。「終着駅の向こう」とは人の道で無いところ、「優しい」は「男」にも「物語」にも掛かる。駅には着くことも出来ればそこから発つことも出来る。ぬるいと感じる向きもあるかもしれないけれど、私にはこの優しさは今の世界に必要なものに思われた。
(以下少々「ネタバレ」しています)
予告や日本版ポスターに嗅いだ強烈な70年代の匂いが、オープニングから存分に味わえる。生きているかのような睫毛が開いて始まる冒頭の一幕は古臭いというより子どもが考えたお話のようだが、馬鹿馬鹿しいとは思われず、その世界に引き込まれる。終盤、これが「主人公ピエール(ニール・シュナイダー)が父から聞いて作り上げ、心の中で繰り返していた映像」だったと分かり、「子どもが考えたお話のよう」でまさによかったのだと思う。彼は「よい目」を持っているが、「目で見なかったものは見えない」。
まず面白いのは、「アントワープのダイヤモンド企業」を舞台に様々な人種が登場するところである。従兄弟のギャビー(アウグスト・ディール)は契約を狙っている相手に「ユダヤ教徒もジャイナ教徒も社会じゃのけものだ」と取り入ろうとし、当人は「ジャイナ教徒は争いを好まない(がこんな商売をしている)」とピエールに漏らす。最も印象に残るのは、ピエールに内装工事を依頼したギャビーが下働きにと連れてきた有色人種の男性が、ピエールがその仕事をやめる旨を告げる場面において、部屋の隅でうつむいて座っている様子である。
私達はピエールと共に未知のダイヤモンド業界に飛び込み、事情に触れてゆく。叔父のジョゼフ(ハンス・ペーター・クロース)は「世界一尊敬するカット技術者」を擁する「ユニークな」加工場を抱えて「ニッチな商い」をしてきたが資金難に陥っており、息子であるギャビーは1カラット以下の石ばかり日に一万も加工するインドの業者と契約して売ることだけに専念したいと目論んでいる。従兄弟同士でこの「インダイヤモンド」を訪れる場面が素晴らしい。作業場に足を踏み入れたピエールの表情がとてもよく、昔と今、芸術と量産の双方を理解する彼がそれらの橋渡しをすることになるという展開が面白い。
15で父と生き別れたピエールには、パリで窃盗をしていた時のボス、ラシッド(映画の始めに献辞を捧げられているアブデル・アフェド・ベノトマン)が「父」代わりであった。映画の始めなど特に、二人が会うごとに歓喜と共に肉体的な接触をするのが目立つ。ピエールは彼に頭を撫でられると髪を直しながらも嬉しそうにするが、叔父にそうされた際には拒絶はしないまでも受け入れられない(…ことからも結末は想像がつく)。「兄」にあたる存在も父毎におり、半分に切ったオレンジは二人の息子に分けられるのか、片方は父が持ったままなのかと想像させられた。
イタリアからやって来て、博士号を取り自身が指にダイヤの指輪をはめるようになったギャビーの恋人に、ピエールはその出自である「終着駅」の絵に「貧乏な町で生まれたルイザに」と添えて贈り、「助手席に乗ってるだけでいいのか」と運転を教えようとするが、彼女はシートから動こうとしない(この時の顔がローレン・バコールにしか見えず驚いた)。遂に無理やり「仲間」であることを確認しようとしたピエールをルイザははねのけ、こぶしで何度も叩く。あのこぶしに激しい憎悪や拒絶は無い。そこにあるのは、二人の間の「揉め事」を陳腐に解釈する叔父には決して分からない、機微に違いないのだ。