ローラとふたりの兄


「愛しき人生のつくりかた」(2014/内容が手繰れないよね、こんな邦題じゃ)がとてもよかったジャン=ポール・ルーブの新作というので見に行ったところ、こちらは余りに「普通」だった。日常に波乱が起こり人々が変化し日常に戻るという、それだけが実にただそれだけ描かれていた。物理的な移動や家族の外への人間関係の広がりがないため抜け感のようなものが皆無なのも勿体ない。

冒頭、兄ブノワ(監督兼のジャン=ポール・ルーヴ)の結婚式においてローラ(リュディヴィーヌ・サニエ)は彼の三番目の妻サラに「家族が増えたね」と話しかけられるが、これは大人同士がくっついて家族を増やすのはたやすいが子どもを持つ形で増やすのは難しいという人々の話である。
しかし子どもを持つために最もよく取られる方法である妊娠の扱いに軽やかというより軽々しさを感じ釈然としなかった。夜中の店先で意気投合している女三人、そのうちの現妻が元妻に中絶させたことを認めた夫とその場であっさり仲直りしたり、男の「子どもを作ろう」とのアプローチに私がドン引きしていたら女の方もそれにのって付き合い始めるが自分が妊娠できないと知って「身を引」いたり、愛情でもって「一件落着」と描くのは鈍感すぎるように思われた。

意外なところで日本の話題が出てくる。失業したことを身内の誰にも言えずにいるもう一人の兄ピエール(ジョゼ・ガルシア)について、ローラの恋人ゾエール(ラムジー・ベディア)が「彼は日本人みたいだ、困っていると言い出せず突然すべてを捨ててホームレス状態になってしまう、日本では『蒸発する』と言うそうだ」。ここで彼が口にするホームレスのホームとは物理的な家を指しているのではないように思われる。
この「言わなきゃだめだ」ということも本作のテーマであり、オープニングにピエールが二棟の建物を爆破解体するともう一棟もひびが入り耐えられなくなってしまうという比喩に繋がっている。しかし「解体」とはそういうものなのだろうか。建築に明るい人ならどう見るだろう。

ローラとピエールの息子ロミュアルドのやりとり「飛び級で大学に行くんだって?」「父さんは留年したから平均的な家族だ」。社会全体でなく家族が一つの単位であり、その中にどんな人がいようが均せばどこも同じようなものだと言っている。私の偏見だけども多くのフランス映画はこれを拡大してやっているように感じられる。上手く言えないけれど、映画界じゃなく一本の映画が一つの単位で、その中に色んな人がいるが均して見てくれとでも言っているような。しかし例えば妊娠などの要素がある映画をそうして見るのはきつい。